続編までのあらすじをフルパワー全速力で復習。



ゼファーと共に鹿児島に着く。


関絹織物:関健二郎氏。


関絹織物の本場大島紬、手織り中。






おなじみの家蚕。八王子にて。


カイコは“モスラ”のモデルだろう、という説明のために撮った写真。


長野県安曇野市で天蚕を訪ねる。


ライムグリーンの美しい天蚕。

ペアスロープオリジナル大島紬も。

大島紬リバーシブル・・・ぜいたく。

コテンパンにやられまして・・・
2006年の5月、九州へのツーリングがてらに鹿児島の大島紬織り元に寄ろうと考えた。着物を着ない私だが、ちょっとだけ我がニッポンの織物に興味があったから。
しかし、興味本位の軽〜い気持ちで行った先は幸か不幸か、本場大島紬の織り元:関絹織物。その対応された若旦那の関健二郎氏といったら、そりゃあもう歓迎どころの話ではなく、デカいカラダと態度に、なおかつ額にシワ寄せて、
「何しに来たのかな、えっ! ここがどういうところか知ってて来たのかな、えっ! なに?ウチの大島紬を買いたいだと? 呉服店さんにだって簡単じゃないものを、えっ?バイクウェアに使いたいって? なんだそれぇ〜!」(※薩摩弁から標準語に訳したその時の言葉のイメージ)
まあツッカエ棒がなければ後ろにひっくり返るんじゃなかろうかと思えるほど反り返った態度で話す健二郎氏であった。

「ところでオタクは、おカイコさんを知ってるかな?家蚕(かさん:農家で育てる)もあれば天蚕(てんさん:日本固有種)もあるのだよ。えっ?そんなことも知らんで、よくウチに来たもんだなぁ!」(※限りなく実話に近いイメージ)
・・・ま、絹織物に関してはほとんど知識がないわけで、反論もできないわけで、7歳ほど年下の者に説教くらわせられた感じで、、、しかしその時点は「不幸」だったが、後に「幸い」となるのである。


カイコ巡り。
ということで、カイコを育てる養蚕農家(東京都内の八王子市にあったのがびっくり)に、幼虫とマユを作る姿を見ようと二度訪問し、糸の勉強をした。
そしてニッポンの固有種である天蚕(てんさん)もぜひこの目で見たいと、長野県安曇野市の農家に、これも二度三度と訪ね、そうこうしているうちに、天蚕の幼虫の出す糸があまりにも美しいので買ってしまう。・・・とんでもなく高額、にもかかわらず。


大島紬でモノ作り。
「ウチは問屋にしか売らんばい!」と言っていたが、カイコの勉強をしたら、関健二郎氏はすんなりと大島紬を売ってくれた。そしてそれを繊維ジャケットや革ジャンの裏地に使った世界初(たぶん?)の製品を作り、発売した。・・・しかし、それだけでは気がすまない私がいた。


逆襲。
「今のニッポンは、薩摩(鹿児島)が作ったようなもんよなあ・・・」などと、つねに上から目線でしゃべっていた関絹織物:関健二郎氏をギャフンと言わせたかった。だから安曇野で買った高価な“天蚕”を鹿児島の健二郎氏に送りつけた。
「天蚕の糸と、家蚕の糸を交ぜた大島紬を織ってくれんかねえ。まさか『できない』なんて言わんだろうねえ」と伝えると、
「えっ、ほんとに安曇野に行って天蚕糸を買ってくるとは思わなかったっスよ。鹿児島でそれを織っている織り元などあるわけがなく、いやぁ〜ウチで織れるかなぁ・・・? いや〜、なんとかせんといかんでしょうなあ・・・」
非常に困った健二郎氏、初対面の時とは違って敬語もまざり、してやったり、の感じが実に楽しかった。

そして3ヵ月後の2006年晩秋、天蚕&家蚕の夫婦坂特注:本場大島紬が弊社ペアスロープに着いた。糸作りからの手織りで3ヶ月完成は超特急スピードであり、健二郎氏が意地をみせたのであろう。




超高級品、天蚕&家蚕 本場大島紬 by 関絹織物



関絹織物製 本場大島紬の1反(着物1着分)の小売価格は、40〜80万円くらいと聞くが、夫婦坂特注の“天蚕&家蚕 本場大島紬”の価格はその比ではない。おそらく2〜3倍だろうが、前例がないので分からない。
そんな高価な絹織物で、いったい何を作ろうか、、、そんなことを考えないで2反分織ってしまったのだから、1年間ほどはただ眺めていただけである。
そして弊社25周年にあたる2008年の春、“天蚕入り本場大島紬”を使ったジャケットおよび小物を、ほんの少しだけ製作販売した。(2011年現在、まだ1反分残してあり、2012年春にまた何か作るかもしれないし、もったいないから何もしないかもしれない・・・?)



ここからが“続・絹の道”・・・2011年秋、京都にて。

2011年の夏頃、大島紬の健二郎氏とは電話でのみ交流をしていた。「またそのうち絹織物で何かつくろうじゃないの」、そんな程度であったが、やがて10月に入り電話をすると「今、京都におます。週末までおます」と。「なんだ俺も週末は京都だよぉ、じゃあ京都で作戦会議でも開こうか」てなことになったわけで。
詳しく聞けば、健二郎氏は京都で「大島紬&結城紬(ゆうきつむぎ)」の展示会を開いているのだと。そこに最新の織物があるから、ぜひ見に来てくれと。結城紬も見れるぞ、と。
しかし大島紬にはある程度の知識はあるが、結城紬はそうとう高額な絹織物(大島紬以上に)ということ以外はよくわからない。

そして10月6日の当日、夕方までに展示会に行く、ということで昼間は京都でのんべんだらりんと仕事(&遊び)をしていた。これがまずかった。気がついたら夕方。
「今、会場に向かうから待っててね」と健二郎氏にケイタイすれば「遅いんよ、もう終了」と無情な返事。しかたがないので近くの飲み屋で待ち合わせることに。

飲み屋にやってきたのは健二郎氏だけでなく、結城紬の旦那衆おふたりさんも現れた。もちろん初対面だが、アルコールをガンガン飲んでゆくうちに初対面の会話ではなくなっていた。「こんどウチら(茨城県結城市)にも来てよぉ」「うん、行く行くっ」ってな感じで。


笑顔の左お二人は結城紬の旦那衆、怒っているような右側が大島紬 健二郎氏。

茨城県の結城紬 「縞屋」の若旦那:井上氏…融和的 茨城県の結城紬 「龍田屋」の旦那:藤貫(ふじぬき)氏…紳士的 鹿児島県の大島紬 「関絹織物」:関健二郎氏…熱血攻撃的
※この先、以上の旦那衆は多々登場するので、名前を憶えていただけると幸いです。



飲んでいるうちにある疑問が湧いた。大島紬と結城紬はかなり昔からの競争相手で、いっしょに展示会や宴会を開くほど仲が良かったのかなあ・・・? と。そこんとこを健二郎氏に聞くと、
「呉服業界はね、今そんなこと言ってる場合じゃあないんよね。ニッポン人が着物を着なくなってきてるんだから。もうお互いに協力してゆかなくてはイカンのよ」
もっともな答えである。二輪業界なんて、とっくにバイク離れが進んでいる。こちらの業界だって、手を組んでゆかなければならないのだと感じる。

・・・ということで、呉服業界と二輪業界(弊社ペアスロープだけだが)との異種格闘技戦がこれから始まろうとしている。
さて、いったいどんなことになってしまうのか、、、たぶん大胆なことをやらかしてしまうんだろうねえ。。。(直後に京都の染物屋さんも巻き込んでしまうことになるが、またあとで)




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