文:三橋弘行 写真:坂上修造 取材日:2017年6月7・8日
[ モーターサイクリスト誌連載 建築編 第6湯 ]







会津若松市内の鶴ヶ城は多くの観光客で賑わう。特に城内の桜には感動的。夜桜もこれまたよし。ライトアップされた天守閣と桜のコンビネーションは美しいのひと言だ。
会津には明治元年に起きた悲惨な歴史がある。その舞台の中心となったのが鶴ヶ城である。
ここに古くから伝えられた言葉 『ならぬことは ならぬ』、納得できないことには自分を曲げることはできない、という立派な精神だ。この教訓の影響かどうかはわからぬが、会津藩は薩摩・長州藩を中心となって作った新政府軍を迎え撃つ戊辰戦争が勃発。しかし惨敗。その直前に悲しい運命をたどるのが会津藩予備兵力の白虎隊。まだ16〜17歳の若き少年たちだった。・・・鶴ヶ城天守閣の中では、こんな歴史のことも現代人に伝えている。

会津の街を歩けば、このような表示が目に入る。



会津若松の中心地、鶴ヶ城跡からバイク又はクルマでおよそ10分ほどで東山温泉街に着く。鉄筋・鉄骨の宿が建ち並んではいるが、温泉街と言えないような寂しい雰囲気。1980年頃に訪れたときは賑やかだったと記憶する。
この旅館街を通り抜けると、突然現れるのが『向瀧』。ここだけ時代が1世紀以上逆戻りしたような風景である。


国登録有形文化財の第1号温泉宿『向瀧』は創業明治6年(1873年)で、それ以前の戊辰戦争までは会津藩の温泉保養所として使われていた。とはいえ、ここで癒やされたのは殿様を始めとした上級武士だけのようだ。
建物は保養所時代から増改築して現在に至る。それでも所々に江戸時代の面影が残っている。なお、大きな玄関の建物は大正2年(1913年)に新築された。とまあ、それにしても堂々とした美しい木造建築である。




お膳に並べられた夕食は、マグロやエビ・カニ等の海産物はなく、会津の地のものを生かした食材。その盛り付け、そして全体の見た目は地味と言えよう。「派手な演出はしません。味で勝負です」と語る主人のいさぎよさが表れている。
地味に見える料理だが、箸を進めると、その一つ一つにいい味が出ている。鯉は会津のおもてなし料理だそうで、その甘煮は私の大好物だから舌が肥えてる。評価は厳しいぞ、と口にすれば、これがまたほんとうに旨い。ぜひ。





古き良きニッポンの木造建築なのだから、浴室もまた木造、 と思ったが意外にも石をふんだんに使った洋風。
湯船には会津の教訓の心得のごとく、にごりのない清らかな透明の湯が満ちている。その温泉流入口には、成分のナトリウムとカルシウムの結晶が湯の花となって美しく咲く。この宿の湯は加水も加温もなし、もちろん循環ろ過もなしの、完全放流式の源泉掛け流し、しかも自然湧出だ。温泉大国ニッポンでも、これだけの条件がそろうのはごく少数派で、ありがたい温泉なのだ。

浴室の入口にある見事な大理石の削り出し洗面台、これは見事。いつの時代に作られたかは不明だが、いまだに現役というのだから、さらに凄い。


[ 向瀧の湯]
泉質:ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物温泉
源泉本数:自然湧出自家源泉3 他源泉2
総湧出量:約100 L/分 源泉温度:56.2℃(自家源泉)
pH:7.88 弱アルカリ性 溶存物質:1860mg/kg
源泉掛け流し 加水なし・加温なし・循環なし
浴室:2(各男女別) 貸切り家族風呂3 客室風呂3
取材日:2017年6月7・8日





向瀧6代目主人である。
「調理場から、いちばん上の客室まで80段の階段があります。おかげで客室係りの足腰は鍛えられます」。そう言う主人は息切れしていない。この建物でバリアフリーは無理があるようで、「歳を取る前に泊まりに来てほしい」と語る。
すれ違う宿のスタッフのほとんどが若者。そして挨拶がしっかりできている。しかも元気な笑顔で気持ちがいい。
「従業員が冷たかったら、お客様の思い出を壊してしまう」・・・ごもっとも。





外観の木造建築に圧倒されるが、館内も風情豊か。大広間に各部屋、そしてその天井や欄間や床の間に建具、どれを見ても歴史を感じるすばらしい造作だ。会津の歴史をたどり、会津の食をいただく。そんなぜいたくなひと時を味わえる宿である。

料金はひとり平日1万9590円〜 (2名1室諸税込・1名宿泊も可)。全24室。立寄り入浴なし
[2017年6月現在]

向瀧 公式HP >>


次回、「建築編」の7湯目は・・・

 神奈川県 湯河原温泉 
源泉 上野屋


<< 建築編目次に戻る