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信州の浅間山に程近い一軒宿にやって来た。
この宿にはちょっと立ち寄りのつもりだったが、今までにない予定外の行動に出る。
ここにはそうさせてしまう魅力がたくさんあるのだ。



[天狗] 古くから伝えられている日本の伝説上の「神」または「妖怪」。一般的には赤い顔で鼻が高く、翼を持ち飛ぶこともできる。なお、「天狗になる」という言葉は・・・調子に乗る、自慢する、うぬぼれる、ことを言う。



美しい風景に、美しい……

「おいおい、いつから馬乗りになったんだ!」 と言われるのには訳がある。まあ聞いてほしい。
 昨日取材したのは標高2000mの高峰温泉。朝の雪がやんだ帰り道、東京に戻るにはまだ時間が早いとモデルさんと共に寄り道をたくらんだ。標高を600m下った天狗温泉浅間山荘に、本格的な取材ではなく単なる立寄り入浴、そのついでに湯船写真を撮らせてもらうことを電話連絡した。

 浅間山荘に着いて早速フロントへ。「こんにちわぁ~」と大きな声を出したら、ニコリと現れた女将らしき女性に意表をつかれる……な、なんてこったぁ、美人だ! 直前の電話の会話では気付かなかった(当然か)。
 緊張ぎみに、「ご主人にお会いしたいです」、と尋ねると外にいると言う。玄関越しに敷地を見ると、野良仕事風の格好をした洒落っ気のない主人が長靴履いてのっそりとやって来た。そして了解を得て、お願いしていた温泉撮影で内湯に向かい、浴室のドアを開けると……
「うわっ、いったいなんだ、この鮮やかなオレンジ色は!」 天狗温泉の湯の色のうわさは聞いていた。サイト画像でも見ていたが、実際に見ると感動ものだ。

 ここに来た目的は、いつ雑誌掲載するかは分からぬが、とりあえず湯船を撮影するだけだった。しかし考えが変わった。この宿はおもしろい匂いがする(きれいな女将だし)。よって本格取材に変更するのだ。そう、今、決めた!
 しかし取材は宿泊が大前提。ならばこの美しい紅葉風景が変わらぬうち、来週また来よう、となったのである。
 ところが急な日程で、モデルさんもプロカメラマンも押さえられない。そこでモデルさんと私のそれぞれ入浴シーン(私のは余計か)および湯船と主人の顔写真だけをカメラマンが撮って東京に帰った。しかし取材当日の撮影は? そうなれば私が撮ればいい。では私が被写体の場合は? カミさんを連れてゆけばいい……というわけで、最初の乗馬写真はカミさんの撮影。初めての一眼カメラでフルオートの高速連写。数打ちゃ当たるだろう。……おっ、当たったかな。(最上段の写真)


天狗温泉への道はフラットな未舗装、約4km。


標高約1400mの宿に到着。秋は紅葉、春は緑の木々が美しい。



気さくな女将さんと、真面目でコミカル?・・・の主人。






天狗の妖術

 最初に訪れたときの、初めての主人との会話がこうだった。
「お世話になります。ところでご主人、奥さまがおきれいで驚きましたよ」
「いやいやぁ、それほどでもないですよぉ」……ニヤッと笑い、まんざらでもなさそうな主人の顔が実に印象的だった。
 通常、初対面でそんな会話はない。失礼なことだ。しかし女将を見た直後なので、つい口に出てしまった。



 さて1週間後、再び訪れ本格的に主人に話を伺う。まずは〝馬〟のことから。2人で酒を酌み交わしながら。
「今ある馬場はテニスコートでしたよ。観光地の軽井沢にそう遠くないからここでも流行るだろうと親父が作ったんだけど、ダメでしたぁ~」
 軽井沢からはそこそこの距離があるし、未舗装もある林道をわざわざ走っては来ないだろう、と誰だって思う。
「それで私が馬好きだったので馬場にしたわけですよ」
 それは正解だろう。家族連れで来て馬に乗り、一汗かてすごい色の温泉に浸かれば気持ちいい。
 それにしても主人の話しぶりと、まるで歌舞伎役者のような表情の変化がおもしろい。酒も進んでこれまた女将の話になってしまう。うまいことナンパしましたねえ、と。
「皆さんそう言うけどね、違います、ナンパされたんですよ。ある日この宿に泊まりに来てね、そのときにバイトをお願いしたんですよぉ」……したたかな天狗だ、いや主人だ。それを世間ではナンパと言うのだ。隙をみて女将にもそれを確認したら、「そういうことにしておいてくださいな」……主人を立てる女将である。

 さて天狗温泉、その名の由来は?
「浅間山には天狗が住んでたそうで、それも悪い天狗が。古い地形図には天狗の湯があったのですよ」
 えっ、たったそれだけ? もっとおもしろい話かと思った。 ならば私の想像を元に天狗伝説を話そう。
 ……昔昔の浅間山に、それはそれは悪知恵の働く天狗がおった。その山麓には温泉が湧き出て村人も喜んで浸かりに来たが、天狗は自分のものだと妖術をかけてその湯を赤く染めた。村人は毒の湯になったと悲しんだ。そこで天狗はきれいな女性を嫁にくれれば毒を消すと言い、村人は従った。そして現在に至る…… う~ん、ちょっとリアルだったかな。




ペットのブタ1頭、放し飼い。





天狗温泉の頭上には無数の星。




朝は雲海。季節の変わり目に多く出現。








単純な湯ではないのだ

 全国に赤湯と呼ばれる温泉はあるが、ここまで鮮やかなオレンジ色の湯は希少中の希少。とはいえ不思議なのはその色だけではない。


源泉は無色透明。内湯の2階 “空”は宿泊者用、1階の“岳”は日帰り入浴可。モデル:多聞恵美さん。

 300m離れた源泉から密封されて流れた湯は、湯船で空気に触れて初めて変色するのだ。その主な原因は“鉄分の酸化”である。さらに疑問に思うのは、その湯の温度だ。噴煙を上げる活火山の浅間山まで近い距離にある源泉は、マグマの影響を受けてさぞ高温だろうと察する。しかし源泉温度はなんと8℃の冷鉱泉。だから加温が必要。もう1つある。源泉湧出量の毎分47.6ℓは決して多くはないが、それほど広くない湯船なので源泉かけ流しでもよかろうと思うが、循環も加える。これに対して主人は語る。
「循環させて湯をかき回さないと湯船の底に鉄の成分が溜まる。それに循環過程で加温も必要です」
 この湯は「源泉かけ流してかき回し」とでも言おうか。なお、鉄分によるオレンジ色の湯ばかりに気を取られるが、炭酸水素やメタケイ酸という美肌効果のあるありがたい成分も多く含まれている。泉質名は〝単純鉄Ⅱ冷鉱泉〟。でも複雑怪奇でちっとも「単純」な湯ではない。







意外でしたな



蕎麦を打つ主人。


 この宿の主人の仕事は馬の世話と温泉管理、その他は資金管理くらいと思っていた。しかし人は見かけによらず、である。
 夕食の蕎麦、それは主人自ら打ったもの。そして秋のキノコ。シイタケは栽培し、ほかのさまざまなキノコは1万坪もある広大な敷地内の山林で、主人と女将が採ってきたもの。もちろん毒キノコと見分ける勉強は欠かさずに。そんな料理には感服。失礼ながら意外にも器用な人だった。

 何度か書いたことがある。温泉巡りで人が癒やされるのは、たとえどんなに泉質がよかったとしても、それだけではないはずだ。周辺の風景や宿の風情、そして食事も重要な要素だ。さらに言えば、主人と女将の人柄もある。それは宿全体の個性を成しており、癒やされ度をも左右される。帰りに、また来よう、と思った宿である。(実際、また泊まりに行った)




「 天狗の湯に、
   馬に豚に星空に雲海に、
     そして主人に女将さんに、乾杯!」







天狗温泉 浅間山荘
長野県小諸市甲又4766-2   TEL 0267-22-0959

料金は1人平日1万4300円~ (2名1室諸税込・1名宿泊は可) 本館客室10室。※コテージ・ロッジ・キャンプ等の料金はサイト案内または電話を。立寄り入浴:1階の内湯のみ可、850円

[湯]
単純鉄Ⅱ冷鉱泉 [炭酸水素塩型]
源泉本数:1 自然湧出 湧出量:47.6 ℓ/分
源泉温度:8.4℃ pH 5.9 弱酸性 溶存物質:515mg/kg
加水なし・加温あり 内湯『岳』は循環ろ過、『空』は循環
浴室:内湯4(男女別

[宿データ] 2022年6月現在

公式サイト https://tenguspa.com/



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