文・:三橋弘行 [2008年1月20日 送信]




 写真の日付記録によると、銀座で雑談したあの晩から2週間後、バイクに革材料を持って東京都足立区にあるリーガルコーポレーション(以下リーガルCo.)本社に初めて訪問している。
 あの雑談で何をどう話したか忘れてしまったが、なぜか革を持参しているということは、試作を開始!、となったらしい。(他人事で申し訳ない。ほんとに忘れてしまったのだ) 憶えているのは、弊社の革材料を使うのか、リーガルCo.のを使うのかの打ち合わせと記憶している。
 本社でも銀座の晩と同じメンバー。ただし単車オヤヂ氏はいない。打ち合わせの主導権を握るのは、酒の席など断り、ひとり帰ってしまう、あの冷静かつクールな企画担当“花田”氏である。
 酒というのは、呑み過ぎは良くないが、初対面でも相手の性格や考え方が分かる。アルコールが手伝ってホンネがチラリと出てくるからである。まあ、仕事の昼間と呑んでる夜とでは、まったく性格の異なる人はいるが、 「やりにくいなあ、何を考えているのか分からない人」これが花田氏に対する私の第一印象であった。

 あらかじめ誤解のないよう申し上げよう。「やりにくい」と言ったが、世に言う「いやな人」ではない。個人の、そして会社のプライドをもしっかりと持ち、とにかく一生懸命な人なのである。私とて会社の歴史や規模こそ大きく引き離されているが、プライドでは負けられない。そこが私とぶつかる。
 そして花田氏はインダストリアルデザイン出身(立体)、私はグラフィックデザイン(平面)出身、そこにもぶつかる原因がある。
 そんなわけで試作品作りの打ち合わせは、これダメ、あれダメ、それ無理、あれ不可、、、そんな会話ばっかりで進む。いや、ちっとも進まないか。
2006年12月、最初の本社訪問。東京都の南、大田区のペアスロープから、北に位置する足立区の本社まで、首都高を使って30分。250のスクーターで革材料を運ぶ。




2回目の訪問。荷物がない時は大型バイクで。 ・・・この日、リーガルCo.敷地内の一般公開されていない“100周年記念館”を特別に見学させていただく。昔の靴や資料、REGALの懐かしいノベルティーなどが豊富に展示。
実はその記念館、撮影許可を頂いている。そんな素晴らしい数々の資料、HP掲載許可は確認していないが、機会があればお見せしたいものである。




[株式会社 リーガル コーポレーション]
明治35年(1902年) 日本製靴株式会社として創業し、平成2年(1990年)現在の社名に変更、およそ100年強の靴作りの歴史を歩んでいる。


事業開発部 花田春臣氏

 花田氏との4回目に会った時、2006年12月末には、具体的なイラストデザインは上がっていた。しかしその時点でもっとも重要なのはデザインではなく、その“作り”であった。
 ライディングブーツは現在多くのメーカーから販売されている。ペアスロープにもすでにラインナップがある。それらとは異なる考え方のブーツを作らなければ、競合しても意味がない。では目的とする代表的な3要素。

■操作する機能性は当然ながら、歩きやすいこと。
■旅館やホテル、洒落たレストランにも気兼ねなく入れる、ひと目見て作りの良い、格好の良いブーツ。(一般の人にはバイク用の靴だとは分からないような)
■履き込んでも、そのヤレ感が格好いいこと。


 以上、それらを花田氏に簡単に述べたが、すぐに反発をくらう。「そんな言葉や絵でチョチョッと描けるほど、簡単なことじゃあないですよっ!」

 そんな3要素を持たせるには、それなりの技術が必要だ。そしてその作りには “グッドイヤーウエルト製法” しかないだろう、と私は思った。
[グッドイヤーウエルト製法] ウエルト製法は長く履き続ける靴、良く歩くための靴としては理想の構造を持つ。主にイギリスで発展した製法で、“グッドイヤーウエルト”とはウエルト製法を機械化した呼称。とはいえ全自動の機械化や単純な流れ作業ではなく、いずれの工程においても高い技術が必要とされる。・・・と、これでは分かりづらいことでしょう。後の工場編では、写真とイラストで解説します。

[初回のイラスト] P-01R(正式品番R-01)ファスナータイプと、P-02R(正式品番R-02)ヒモタイプの2種類を企画・・・絵だけなら簡単に描ける。


 リーガルCo.には多くの製作工場がある。しかし、グッドイヤーウエルト製法となると、その工場は少ない。もっとも、ライディングブーツ全メーカー、というより、全ての靴メーカー全体において、その比率は極端に少ない。さあ、どうしたものか、、、。
 この12月から打ち合わせの機会を多く得たものの、雑談もそれ以上に多かった。「ここだけの話」も豊富に。そのなかには工場の話題もあった。
 弊社ペアスロープが思う“作り”の3要素、そしてグッドイヤーウエルト、その両方を兼ね備えた工場は、短い期間ながら雑談ですでに知識を得ていた。それはリーガルCo.の新潟の工場。私には“新潟”しか頭になかったのである。しかし、こちらが勝手に決め込んで良いのか、まだこの企画ブーツを生産するかどうかも決まっていない時点で、とても言えることではない。


 さて、2006年の年末の打ち合わせで、いよいよ試作の第1号に取り掛かる。翌年1月末に仕上がる予定と聞き、待ち遠しい日々がつづくのである。
 それにしても12月だけで花田氏と4回も会っているが、笑った顔は一度もない。それはおろか、初対面からその後の半年もの間、私に笑顔を見せないのである。“職人気質”ってもんでしょうか。。。


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