文・:三橋弘行 [2008年2月18日 送信]




 2007年5月上旬にできた第2試作。まず私はジップアップ(ファスナー)スタイルのR-01を集中して履くことに。(ヒモタイプのR-02は店のスタッフにひとまず任せる) しかしまだまだ未完成のそれは、履き心地もさることながら、格好もよろしくない。まあ、そんなことも言ってられないので、具体的にどこをどう直すかが目的で旅することにあいなる。

 そんな試作品使用の旅は、ツーリングサイト2007年5月の信州“新緑”から、ずいぶんと続けたものだ。ご覧になった人は、おそらく気づかないままでいたろうと察する。



2007年5月から10月末までの
二輪旅紀行では、
すべて第1〜第3試作品を
履いていたのです。



 いまネタを明かせば・・・5月の“新緑”の話のなかに戦国時代の“武田信玄”が登場する。そして7月に“信玄の隠し湯”を浸かりに行き、そうなると信玄の敵である“上杉謙信”の隠し湯のある越後に足を運ぶ。そしてまた謙信が眠る山形県米沢に行く“秋の風情”では、途中、偶然にも試作品を作ったリーガルCo.新潟の工場があり、立ち寄る。
 ・・・立ち寄る? いやいや、“新緑”の武田信玄〜上杉謙信〜越後〜新潟の工場と、初めからシナリオが出来ていた。だから偶然に立ち寄ることなどありえないのである。それを証拠に菓子折り(亀屋万年堂)持参で工場に向かっている。(“秋の風情”ではそんな写真を載せてないが)
 なんとも恐ろしく長〜い筋書きだったけど、おかげでいい湯に浸かれるは、旨いもん食えるは、歴史の勉強になるは。そしてガクトはカッコ良かったは、、、。




2007年5月“新緑”:ここからブーツ試作品の旅が始まった。そしてNHKの大河ドラマ“風林火山”武田信玄を追う旅も(主役は山本勘助だが)。 [群馬県から長野県に抜ける県道93号 田口峠にて]

2007年6月“伊豆遊び”:我が家族4人と松下夫婦(夫婦坂革ジャン改革サイト)の6台で伊豆を走る。ホタル食ったり、ヒモノ見たり、、、ち、違うっ!逆だ。 [西伊豆、こもれびの中を快走。カメラも心地良さそうなブレ。]




 2007年5月末の“極上の気分転換”では、ヤマハのレーシーなR-6に跨り、サーキットを走っている。ここで初めて試作ブーツを写真に載せたが、気づいた人はいったい何人いたろうか。
 それはともかく、サーキットを走ったからといって、レーシングブーツを目指していたわけではない。あくまでツーリングと歩き心地が重要なのだ。しかしサーキット走行でのチェンジ回数はハンパじゃなく、短時間でシビアに頻繁にシフトチェンジする。その機敏な操作ができるかどうか、それがテスト目的である。
 でも、、、コースを走っているといろんなヤツラがツッツイてくる。そんな挑戦に、ついつい熱くなってフルスロットル。そんな時に、ブーツのここがこうでああで、な〜んて冷静に考えて走れるわけもなく、頭の中は・・・「お前らには負けねぇ!」。

 まあそれでも収穫はあるもので、第2試作品への改良点をいくつか見つける。
PSP-1ツーリングツーピースと 第1試作品R-01ブーツ:筑波サーキットにて。




2007年7月“奥多摩・秩父、信玄の隠し湯”:武田信玄の武将、山県昌景(やまがたまさかげ)の子孫が経営しているという隠し湯に浸かる。その帰り道、軽快に走る私を、娘が撮る。試作ブーツを履いているが、こんな米粒みたいな姿では、ぜったいバレない。[秩父、大滝大橋]



2007年8月“俺たちの夏休み”:翌年(2008年用)の新作ウェアのテストもおこなっている。ブーツは隠しているが、この麻のジャケットはしっかりと露出。ガキんちょとトンボやサカナをとったり、花火やったり。そういえば試作ブーツで鉄道の旅も。[八ヶ岳、清里周辺にて]

2007年8月“謙信動く”:上杉謙信のお膝元、越後に出向く。そこはちょうど謙信公祭の真っ最中であった。試作のブーツを履いて何キロも歩いたが、その帰り、“謙信の隠し湯”でカラダを癒す。それにしても、謙信(ガクト)のカッコ良さといったら、、、。[新潟県上越市春日山城跡にて]






公道試作品テスト車は主にこの3台。ノーマルポジションのW、バックステップぎみのゼファー、そして特にチェンジが固く重いスポーツスター(1995年モデル)はブーツテストに好都合。



 2007年7月中旬までに、第1試作R-01(ジップアップ)はサーキット走行を含めて千キロほど履く。そして第2試作R-01に履き替え、同年夏と秋で4千数百キロを走り回り第3に。もちろんその合間に、他のスタッフばかりに任せておかず、R-02(ヒモタイプ)も履いている。

 秋になってようやく気づいたことがある。R-01とR-02の違い。デザイン的な違いではなく履き心地である。
 R-01はそのスタイルからお分かりのとおり、ライディング時の操作性を重視している。そしてドレッシーなR-02は、どちらかと言えば歩くほうに・・・。 しかし意外にも歩き易さはライディングスタイルのR-01のほうがわずかに勝っている。そして劣るだろうと思っていたR-02の操作性はR-01に遜色ないのである。まあ、試作なのだから、これからまだ多少の違いは出てくるだろう。
 新品の時点では良し悪しの分かりにくいのが靴。しかし、ある程度なじんでくるとその個性が分かるようになる。こちらの企画意図とは少々異なるが、「お前ら、そういう性格だったのかぁ!」てな感じだろうか。結果オーライ。




2007年10月“秋の風情”:ついに新潟県加茂市の工場にたどり着く。甲州 武田信玄から越後 上杉謙信、そして工場へと、ここまで長〜い試作品の道のりであった。 [新潟経由で山形県米沢へ]




 R-01、R-02の第3試作品、その使い心地は、リーガルCo.のあの花田氏をまた誉めるようでナンだが、見た目以上にデキがいい。とはいっても、試作品はすべて手裁断の手作業ワンオフブーツ。生産できる各サイズの木型もなければ、裁断ヌキ型もない。見積もり書なんてもんもいっさい無し。いったいどのくらいのコストなのだろうか? それよりも弊社のブーツを生産してくれるのだろうか、リーガルCo.さん!

 しかしこんなにもデキの良いブーツを、そして弊社を見捨てるようなことはしなかった花田氏んとこの事業部の皆さんは、相当な努力をしてくれて、2007年の9月、ついに契約を交わすことができ、そしてあの新潟の工場で作れるということも決まった。
 いやぁ〜嬉しかったねえ。その日の晩は。花田さんとこの事業部の皆さんや、製造部、資材部の皆さんも混じって祝杯を挙げて宴会。ボロッちい呑み屋の安酒だったけど、ほんとに美味い酒だった。同席していたカミさんは「ヨッパライばっかしじゃん!」って嘆いていたけどね。。。

ダメもとで挑んだ “憧れのブーツ”、ようやく生産態勢に入る。・・・やる気になればなんとかなるものだ。挑戦しなければ、何もできやしないのだよ。 [2007年10月 米沢市上杉神社にて:第9代米沢藩主“上杉鷹山”の句]


[ ついに生産開始! 第五話 “製作工場に足を運ぶ” ]
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