photo&text  尾原 義則

   第二話

 東かがわ市(旧 大内・白鳥・引田 3町)の地場産業として有名な手袋づくり。かつては日本で作られる手袋のほとんどが東かがわ市で作られたものでした。
 手袋産業が始まったのは、明治期から。戦中は軍需産業の一つとして手袋づくりが続いていたのですが、大きく産業として成長したのは、戦後日本の高度成長と時期をともにします。

 基本的には産業は今でも、「納屋工場」のスタイル。納屋に置いたミシンで農家の奥さんが内職を始めるというのが一般的です。そのうち材料の手配や手袋の販売を手がけていた「親方」が大きくなり、従業員として職人や縫子さんたちを囲い、会社として成長したのでした。

典型的な納屋工場の一つでまた、新しいグローブが生まれようとしています。ミシンや道具はいずれも使い込まれた物ばかり。


 手袋づくりの多くの作業は、機械による自動化が困難な産業で、労働者の賃金が生産コストを大きく左右します。1980年代から始まった、工場の海外移転は、地場産業全体に影響を及ぼし、今ではほとんどの会社がほぼ100%海外にて生産するという事態になっています。当然、地元で働いていた職人は、「コストが見合わない」という理由で仕事が無くなり、転職や廃業を余儀なくされます。
ミリ単位の精度が要求される縫製の世界。しかも均一ではない皮革を扱うのだから、とても自動化などはできるものではない仕事です。

 もし、仮に日本製でも海外製でも同じ材料であれば、全く同じ物ができるとするならば、それはわざわざコスト高の日本で作る意味は無いのですが、「本当に惚れ惚れするような手袋を作るなら、まだ実力差がある・・・」「誇るべき技術が地元には残っている・・・」というのが海外製・日本製の両方の手袋を見てきた僕の考えです。それゆえ、永年手袋づくりに携わってきたベテランが作る「純国産」のグローブを残す意味があるのだと思います。





ちなみにウチの息子は、手袋工場で遊ぶのが大好きになってしまったのです。



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