余談・・・工房で話をしていると、景気が良かった頃の話が良く出てくる。昔は手袋製造業は花形だったこと。工員の給与が公務員よりはるかによかったこと。縫い子さん(縫製専門の女性工員)は自分で髪を洗わずに週に何度も美容室に通っていたこと。この地域の奥さんはみんな手袋作りに明け暮れていたこと。讃岐白鳥駅には毎朝工員でごった返すほどの賑わいであったことなど・・・今となっては考えられない繁盛ぶりだった(らしい)。


大西 賢治 (写真中央)
1955年頃に父親が手袋工房を創業する。日本の高度成長時代、スポーツウエアメーカーから依頼されたスキー用グローブのOEM生産を両親とともに家族総出で担う。1990年頃からライディンググローブ作りを手がけ、ペアスロープ製品の製作に携わる。主に皮革の裁断と仕上げ(男手の仕事と呼ばれる)が仕事の中心である。

大西 茂美 (写真左)
大西家に嫁いでから、ずうっと手袋縫製に携わる。そのキャリア約三十数年。もちろん子育て・家事をしながら、繁忙期には寝る暇もなく仕事をしていたらしい・・・。なお、大西家のばあさまもいまだ現役。縫製の大ベテランとして物づくりのコーチ役をしている。

尾原 義則 (写真右)
手袋メーカー勤務時代に、大西工房とともにライディンググローブ作りに従事する。独立後、グローブのデザイン・企画、資材調達、生産管理、営業・・・・などなど裁断と縫製以外を受け持つ。 (源平の合戦場であった高松市“屋島”の原住民)




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