二十一番札所 太龍寺



第三回 発心の道場編 その2
札所の番号が大きくなるにつれて、修行らしい道のりになってきます。バイクなら歩く足の痛みこそ無いものの、冬の徳島路を走り回ると、寒風と疲労が巡礼者の体を痛めつけていきます。


 12月23日の天皇誕生日。天気は快晴。気温は8℃。前回、一カ所でも多く回ることに汲々とし、ちっとも楽しく無いばかりか、このスタンプ集めの旅に疑問を持ってしまったのでした。「一体何してんのだろう」と。
 
 でも不思議に、「もう止めよう・・・」なんて思うことは一度もなく、心は次へ次へと求めているのがわかるのでした。徳島路が「発心の道場」たるゆえんは、ここにあるのかもしれません。すっかり巡礼にハマっているのでした。

 今日は二日目。とにかく「心穏やかに霊場を巡ろう」というテーマを定め、どこまで行こうか・・・なんてつまらないノルマを定めないことにしました。

午前9時に自宅を出発して、10時に十五番国分寺に到着。気温は10℃を越え、暖かく穏やかな一日の始まりとなりました。

 14番から17番間は距離が近く、12番焼山寺の難所から降りてきたお遍路さんが、一息つける「楽やったなぁ」と感じる札所群です。折しも今日は祭日。天候も良いので、多くの参拝客がいたのでした。

 さて僕は、信心深い訳でも何でもないのですが、前回とは違い今回は、お経もしっかりと声に出すことにしました。先達(せんだつ=先輩)の言うとおり「郷に入れば郷に従え」で、しっかりとお経を唱えることにしたのです。

御水舎(おみずしゃ)と言い、参拝前に右手を洗い、持ち替えて左手を洗います。次に左手に水をくみ、口をすすぎます。最後はもう一度右手を洗い、柄杓を洗います。
賽銭箱の右の青い箱が「納札箱」です。本堂と大師堂の二カ所に入れます。お経を読むときは、他の参拝者の邪魔にならないよう、左右によけます。
ローソクと線香は、必ず自分で火を付けます。そして線香は真ん中から置いていきます。一カ寺で、3本×2の線香を使います。線香は箱で用意しましょう。
般若心経の他に、サンスクリット語をひらがなにした真言(しんごん)を唱えます。お寺ごとに真言が違うので、それぞれの真言が書かれた札があります。


 お昼を過ぎ、今日はしっかり昼食を取るぞ! と意気込んでいたら、参道の民宿に「ボタン鍋」の文字が。数年前に、味噌とショウガで味を付けたボタン鍋を食べたことがあるのですが、ほかほかと体が温まり、そしてそのお肉のおいしかったこと。
 そして今日のお昼は何にしようかなぁと、またチンタラ考えながら走っていると、目の前に今度はボタン・・・いやいや罠にかかったイノシシが現れたのでした。このまま後を付けて、お裾分けに預かるか?・・・ブルブル(首を振る音)私は遍路旅の身。殺生は許されないのでした。(遍路旅には「十善戒」という法度があります。)

<ボタン鍋とは、イノシシの肉を使った鍋料理の事。大皿に盛った肉が赤く、牡丹のようなので、こう表現したらしい・・・。>
 

10:20 十五番国分寺出発。聖武天皇が阿波の国に設けた国分寺として創建された寺。
11:00 十六番観音寺出発。15〜16番はバイクでほんの5分の距離。参拝客多し。
11:30 十七番井戸寺出発。名前のとおり、弘法大師が掘ったといわれる井戸があるお寺。
12:20 十八番恩山寺出発。小松島市の山の中腹にある寺。街中の寺から、また山中へ。
12:40 十九番立江寺出発。88札所の内、4カ所にあった関所の寺。不心得者はここから先に進めなかった。
14:00 二十番鶴林寺出発。阿波の国三大難所の内の一つ。山道が4.3kmも続く。歩きなら如何に大変か?
16:00 二十一番太龍寺出発。ロープウエイを使ってお気軽参拝。時間も要し、本日はここにて打ち止め。

西の高野(高野山)と呼ばれる二十一番太龍寺は、これまた難所で、クネクネ道を何キロも走ってから、さらに1キロほど歩かなければならないのでした。さすがにここは麓から開通しているロープウエイのお世話になりました。往復¥2400。


 12月23日は、冬至の次の日ですので、午後4時以降の参拝は、日没でちょっと無理な感じになります(納経所は午後5時まで)。
 太龍寺のロープウエイは、とっても快適でしたネ。バイクを放りだして、たまにはこんな楽なのもアリではないでしょうか? ・・・ただし時間は予想外に使いましたので、今日は7カ寺で終わりとなりました。

 今日の道すがら、心穏やかに参拝することは叶ったのですが、未だ「一体何してんのだろう」「この旅に何を求めているのだろう」という心の疑問は晴れずじまい。
 
 この先何か良いことはあるのでしょうか? 二輪で遍路旅は年越しすることになりました。

次回は「修行の道場(高知県)」




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