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山城の郷駐車場からバスに乗ります。バスが行けるのは中腹の駐車場までですが、少しでも楽できるのはありがたいものです。 |
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中腹の駐車場から、目指す城跡まで歩きます。山道は、硬いライディングブーツだと少し大変かもしれません。 |
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バスから降りて20分ほど歩くと、竹田城の石垣が見えてきます。
石垣の階段を数段登ると、急に見晴らしがよくなります。頂上を囲むように石垣が配置されています。
標高はおおよそ350m。石垣の遺構は、大きく崩れるような所もなく、建物が建っていた当時の雰囲気を残しています。「日本屈指の山城遺構」と呼ばれるのも、この壮大さゆえに、うなずけます。
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巨大な城の遺構が残されています。確かにここに城を作ると四方の眺望が効き、
戦場の最前線の要塞としては、絶好なのかもしれません。
天守跡もありますが、立ち入りができないようになっています。
ここに城が残っていたら・・・、なんて考えると、
城跡だけでも壮大なのに、いったいどんな景色が広がっていたのでしょう・・・。
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ちなみに竹田城のマメ知識
日本百名城のひとつに数えられる「竹田城」は、嘉吉年間(1441〜1444)に完成したと伝えられ、播磨の赤松氏に対する最前線基地のひとつとして山名宗全によって作られました。
天正5年(1577)、羽柴秀吉の但馬攻めにより、羽柴秀長が城代となりました。これ以降竹田城は、織豊側の拠点城郭として機能しました。関ヶ原の戦い以降は、廃城となり現在に至ります。
築城当時は土塁の城であり、現在見られるような総石垣の城は、最後の城主「赤松広秀」のころに完成したと考えられています。 (朝来市観光案内より)
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さて、一行は帰りも無事にバスに乗ることができ、「山城の郷」まで下山することができました。
ちょうど時刻もお昼すぎ。お腹もすいて来たので、食事に向かうことにしました。
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昼食は、ご当地名物の出石そば。
国替えで出石藩にやってきた領主が、信州から職人を連れてきたのが始まりとされています。
写真のように割り子(小さな皿に盛る)のが一般的らしいです。 |
出汁に薬味と生卵を入れて食べます。
蕎麦の風味が残る素朴な味の麺ですね。麺と卵と出汁の絡まり具合も良いですね。
ツルツルとすすると、あっという間に完食しました。 |
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お腹が満たされた一行は、そろそろ帰路に向かわなければならない時刻。
でもね、今日の往路が高速ばかりだったので、「少し元気よく走りたい・・・」というご要望もあろうかと思い、少々田舎道を寄り道しながら帰ることになりました。
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中国地方の山間部は、四国の道と違って、なだらかなのが特徴です。
ゆったりと流して走るのにちょうど良いですね。
お腹が満たされて、少し眠くなりますが・・・。
途中で立ち寄ったのが神子畑選鉱所跡。
さらに山奥にある明延鉱山で産出した、
スズ・銅・亜鉛などの非鉄金属を
階段状の棚に流すことで分別していたらしいです。
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古く中世の城跡と、僕らが子どもの頃まで稼働していた鉱山の選鉱場の跡。全く時代が異なるのですが、石組みの巨大な建造物を前に圧倒され、「人間の力ってスゴイ!」と実感させられたのでした。
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竹田城の近くから、中国道に出会うまで、人気の少ない山中を走り抜けます。
帰りは、播但連絡道・山陽道を経由して、瀬戸大橋経由で帰りました。
なんとか暗くなるまでに、四国へ渡ることができました。
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竹田城跡は、僕らのように単純に登るもよし、
雲海に包まれる姿を、付近の展望台から見るもよし。
なおさら、応仁の乱から戦国時代の歴史に詳しければ、
付近の史跡を散策し、ウンチクを傾けることで、
より一層面白くなるかもしれませんね。
なお竹田城のある但馬地方は、スキー場もある地域ですので、
晩秋〜初春の訪問は、凍結等の道路事情を確認してから
出かけた方が良いと思われます。
今後も、歴史をテーマにツーリングを企画したいと思います。
「こんな所行きたい・・・」というのがありましたら、屋島工房までお知らせ下さい。
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さて、2015年夏のツーリングは、高知方面を考えていたのですが、天候不良のため中止となりました。
屋島工房では、基本的に春夏秋冬、年四回のツーリングを企画しております。一応日帰り圏内の移動が目安ですが、「目的地にタッチして帰ってくる・・・等」少し無謀な遠征も考えております。
興味がありましたら、一緒にツーリングへ行きましょう。詳しくはHPで随時お知らせしております。
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