播但連絡道・和田山IC付近

2015年春のツーリングは、「天空の城」として有名な竹田城跡へ向かいました。インターネットやメディアで、「死ぬまでに見たい絶景の城」として有名になっていた竹田城。距離を調べてみると屋島工房から日帰り圏いうことがわかり、「どんなところなの?」、「どんなに素晴らしい絶景が待っているの?」、とウズウズしてきたのでした。そうなるともちろん行くしか無いですね。


2015年 春のツーリング 目的地 兵庫県朝来市和田山町竹田 (2015.5.6)


 「竹田城」とインターネットで検索すると、雲海の中から現れる竹田城の石垣の姿が有名です。

 最近では、そんな写真から「天空の城」だとか「日本のマチュピチュ」と呼ばれている竹田城。映画のロケや、TV等でもよく取り上げられています。

 そんなこともあり、観光客が増え、混雑のため、山頂近くまで行けた道路がバス専用となったり、人の往来で荒れた山道を修復したり・・・というニュースも流れてくるほど。

 でも意外や意外。僕の回りでは、興味はあるんだけど「行ったこと無いよね・・・」。という人ばかり。

 それで、ウチのツーリングだけじゃなくて、これまで竹田城へ行ったことのない、バイク乗りの皆様への参考にでもなれば・・・と思い今回のツーリングの目的地としたのでした。




 さて毎回春のツーリングは、ゴールデンウイーク最終日に設定しています。

 ゴールデンウイーク前半とは異なり、翌日からお仕事のためか、観光地でも意外と空いているのがこの日。
 家族サービスもこの日までに終わらせておくと、「後ろめたい」家族の視線を感じず、心置きなくツーリングに出かけられるのではないかという主催者の配慮??? だったりします。
 もちろん僕もそういう境遇でして、同じようなパパさんが参加しやすければ良いなぁ・・・と思っています。

 今回のツーリングは、二つの本四架橋を周遊するコースとなりました。

 最初は、高松から東にに向かい、徳島から大鳴門橋を通って、淡路島に渡ります。
 淡路島から明石大橋を渡って神戸に向かいます。高松〜神戸間は、山陽道を回るよりかは、景色が良いのでこちらを回る方がおすすめですね。


鳴門で徳島のKさんと合流し、淡路島を北上しました。
明石大橋は、その大きさに、いつ通っても圧倒させられますね。



今回の参加者は9名。少年時代に峠で膝スリして遊んでいた、
僕の同級生Nも初参加です(今となっては恥ずかしい過去ですが・・・)。



 神戸からは、山陽道・中国道を経由して舞鶴若狭自動車道へ入ります。この道は最近全通し、神戸以西と北陸方面を、混雑の多い大阪・京都を通ることなく結ぶ、バイパスルートとして使えるようになりました。

 舞鶴若狭自動車道を春日出口で降りて、無料の北近畿豊岡自動車道に入ります。
 そして降りるのは、播但連絡道とつながる和田山インターになります。

 和田山インターから、竹田城へはほんの数分。竹田城観光の拠点となっている「山城の郷」という道の駅に向かいます。

 竹田城へは、いくつか登山ルートがあるのですが、山道の整備や駐車場の問題から、この「山城の郷」を使うのが一般的なようです。
 当日もゴールデンウイーク期間中とあってか、四輪は、「山城の郷」からずいぶん離れた臨時駐車場に車を誘導しているようでした。幸いながら僕ら二輪は、すんなりと「山城の郷」から出るバス乗り場の目の前まで行けましたが・・・。

 ここから竹田城へ歩くこともできますし、中腹の駐車場まで行くバスが出ています。あまり混雑しているようだと、歩いて登るつもり(運動靴を用意してきました)だったのですが、バスも混雑ながらも待たずに乗れそうな雰囲気。一行は、バスの行列に加わったのでした。

山城の郷駐車場からバスに乗ります。バスが行けるのは中腹の駐車場までですが、少しでも楽できるのはありがたいものです。

中腹の駐車場から、目指す城跡まで歩きます。山道は、硬いライディングブーツだと少し大変かもしれません。


 バスから降りて20分ほど歩くと、竹田城の石垣が見えてきます。
 石垣の階段を数段登ると、急に見晴らしがよくなります。頂上を囲むように石垣が配置されています。
 標高はおおよそ350m。石垣の遺構は、大きく崩れるような所もなく、建物が建っていた当時の雰囲気を残しています。「日本屈指の山城遺構」と呼ばれるのも、この壮大さゆえに、うなずけます。



巨大な城の遺構が残されています。確かにここに城を作ると四方の眺望が効き、
戦場の最前線の要塞としては、絶好なのかもしれません。



天守跡もありますが、立ち入りができないようになっています。
ここに城が残っていたら・・・、なんて考えると、
城跡だけでも壮大なのに、いったいどんな景色が広がっていたのでしょう・・・。



ちなみに竹田城のマメ知識

 日本百名城のひとつに数えられる「竹田城」は、嘉吉年間(1441〜1444)に完成したと伝えられ、播磨の赤松氏に対する最前線基地のひとつとして山名宗全によって作られました。

 天正5年(1577)、羽柴秀吉の但馬攻めにより、羽柴秀長が城代となりました。これ以降竹田城は、織豊側の拠点城郭として機能しました。関ヶ原の戦い以降は、廃城となり現在に至ります。

 築城当時は土塁の城であり、現在見られるような総石垣の城は、最後の城主「赤松広秀」のころに完成したと考えられています。 (朝来市観光案内より)



さて、一行は帰りも無事にバスに乗ることができ、「山城の郷」まで下山することができました。
ちょうど時刻もお昼すぎ。お腹もすいて来たので、食事に向かうことにしました。



昼食は、ご当地名物の出石そば。
国替えで出石藩にやってきた領主が、信州から職人を連れてきたのが始まりとされています。
写真のように割り子(小さな皿に盛る)のが一般的らしいです。

出汁に薬味と生卵を入れて食べます。
蕎麦の風味が残る素朴な味の麺ですね。麺と卵と出汁の絡まり具合も良いですね。
ツルツルとすすると、あっという間に完食しました。

 
 お腹が満たされた一行は、そろそろ帰路に向かわなければならない時刻。
 でもね、今日の往路が高速ばかりだったので、「少し元気よく走りたい・・・」というご要望もあろうかと思い、少々田舎道を寄り道しながら帰ることになりました。



中国地方の山間部は、四国の道と違って、なだらかなのが特徴です。
ゆったりと流して走るのにちょうど良いですね。
お腹が満たされて、少し眠くなりますが・・・。


途中で立ち寄ったのが神子畑選鉱所跡。
さらに山奥にある明延鉱山で産出した、
スズ・銅・亜鉛などの非鉄金属を
階段状の棚に流すことで分別していたらしいです。


 古く中世の城跡と、僕らが子どもの頃まで稼働していた鉱山の選鉱場の跡。全く時代が異なるのですが、石組みの巨大な建造物を前に圧倒され、「人間の力ってスゴイ!」と実感させられたのでした。



竹田城の近くから、中国道に出会うまで、人気の少ない山中を走り抜けます。


帰りは、播但連絡道・山陽道を経由して、瀬戸大橋経由で帰りました。
なんとか暗くなるまでに、四国へ渡ることができました。


竹田城跡は、僕らのように単純に登るもよし、
雲海に包まれる姿を、付近の展望台から見るもよし。

なおさら、応仁の乱から戦国時代の歴史に詳しければ、
付近の史跡を散策し、ウンチクを傾けることで、
より一層面白くなるかもしれませんね。

なお竹田城のある但馬地方は、スキー場もある地域ですので、
晩秋〜初春の訪問は、凍結等の道路事情を確認してから
出かけた方が良いと思われます。


今後も、歴史をテーマにツーリングを企画したいと思います。
「こんな所行きたい・・・」というのがありましたら、屋島工房までお知らせ下さい。




 さて、2015年夏のツーリングは、高知方面を考えていたのですが、天候不良のため中止となりました。

 屋島工房では、基本的に春夏秋冬、年四回のツーリングを企画しております。一応日帰り圏内の移動が目安ですが、「目的地にタッチして帰ってくる・・・等」少し無謀な遠征も考えております。
 興味がありましたら、一緒にツーリングへ行きましょう。詳しくはHPで随時お知らせしております。


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