2006年7月10日発信

日本中を駆け巡っている、、、和を求めて。 しかし“和”って、いったん何でしょうかねえ。 ニッポンのものという以外はきわめて抽象的で、断言できる具体的なものなどなかなか見つからない。 ま、そう簡単に見つかるようでは面白くないけれど、東西南北、右往左往してるうちにな〜んとなく分かってきた、、、ような気がします。


 “和”を特に意識するようになったのは2005年の春からだろうか。我が先祖が源氏(の家来)の末えいであることを祖父から聞き、それから30年経って忘れ物を取りに行くかのように源氏を追う旅をした。
 しかしそれはみな、こじつけ。ツーリング紀行制作と称して仕事を休み、旅をする口実にしかすぎない。
 そして、弊社のテーマを“和”とした2006年、気合いを入れるために、BMW F-650GSやドゥカティ ムルチストラーダの外車を売って、ニッポンのカワサキ・ゼファーを買い、国産バイクだけの旅とした。
 源氏とともに幕末も追いかけた。源氏と幕末は日本全国にまつわる地域がたくさんある。ただひたすら走って、食って、温泉に入るだけの旅より、それらの歴史を探るプラスαがある方が楽しさが倍増する・・・そんな旅をするうちに、具体的な和がきっと見つかるような気がする。そしてそんな旅を頻繁にするようになって、会社に席が無くなってしまうような気もする。
旅の道づれは、信州生まれのカミさん。源平合戦 壇の浦の戦いの場、関門海峡にて。


伊豆 松崎町の源氏ホタルの乱舞。5月末から7月初めまで、必見の価値あり。


秋田県と岩手県の県境、アスピーテライン。この周辺は極上の温泉多し。


南アルプス しらびそ高原。なぜかここから “和”のヒントを得る。
 和の旅の始まりは、2005年6月HP発信の “ 伊豆 ホタルの灯を求めて ”。昔ながらの江戸ちょうちんを探し当て作ってもらい、サクマドロップを買う。そして800年以上前に源 頼朝が流された伊豆でホタル観賞、、、源氏ホタルを・・・我ながら天才的なこじつけである。
 しかし現実に見たホタルの乱舞は、それはもう鳥肌が立つほど美しかった。

 翌7月は源 頼朝の弟、義経を追い、東北に行った。“ みちのくの義経と 極上の湯巡り ”。さすが東北の湯はどれもこれもが素晴らしい。なにがどうよって聞かれても、温泉ツウではないから分からないが素晴らしい。だから温泉のコメントはかなり適当に書いている。しかしながらこの旅でも、まだ和のヒントすらない。

 秋になり10月の信州 “ 天空の山里 ” 。これは翌年2006年秋製品のイメージ写真を撮るためにプロカメラマン同行の旅。ここで初めてハンチングキャップが登場するが、なぜかその英国生まれのハンチングから“和” の入り口が見えた・・・ような気がする。
 また、旅の帰りに寄った、浜松の同業社ヒョウドウプロダクツさんで、弊社とのコラボジャケットの(強引な)提案。これもまた違った意味の“和”の開始である。


 さて2006年になる。その1月元旦、ホームページにて今年のテーマを “ 和 ”と公表した。昨年を思い出すと上記の旅は全て外国車に乗っていた(借物多し)。こりゃイカン、というわけで2006年は国産車に徹している。

 4月の “ 長州 ”。 本州最西端のこの地は、源氏と平家、幕末ネタの最たるところだ。そしていまだに古き良き日本が数多く残されている。東北の温泉と比べると、横綱と幕下、W杯ブラジルとニッポンほどの数、質ともに差があるけれど(ちょっと言い過ぎか)、食い物に関しては逆転、特に海産物は一級品である。食いすぎたおかげで旅の途中、持病の腹痛をおこしてしまったが。

 そして同月に “ 会津 ”。 長州と会津のケンカ仲間は、幕末編には欠かせないのだ。
 しかしその二つの地が4月であり、20日間あいているのには大きな理由があった。故意的に満開の桜前線を追ったのだ。長州藩の藩庁「萩城跡」の桜と、会津藩 藩庁「鶴ヶ城」の桜、どちらも満開! それに合わせることは涙ぐましい努力がいる。(仕事のスケジュールを無視する努力) 幕末のケンカでは長州が勝ったが、桜は会津の圧勝だ。

 5月初旬には “ 米沢 ”。ここで初めて絹の織物「米沢紬(つむぎ)」を購入しようと旅立つ。しかし夫婦坂二輪旅倶楽部(仮称)なるトンチンカンなバイク仲間のスケジュール、GWに合わせた為に、織物屋は観光的なところ以外どこも休業で、購入不発に終わる。
長州・・・山口県萩城跡の桜。萩市は江戸時代の武家屋敷が数多く残されている。



会津 鶴ヶ城の豪快に咲く桜。ほんとうに凄い、ウソじゃないから、、、。



磐梯吾妻スカイラインを爆走し、米沢に向かう夫婦坂二輪旅倶楽部。



上記旅の詳しい情報は、“ツーリング紀行”でじっくりとご覧下さい。


そして米沢から帰って10日後、鹿児島に向かう。
幕末では絶大な存在感を誇る “ 薩摩藩 ”。
長州同様に、いまなお、
「ニッポンは俺たち(の先祖)が作った!」
と、デカイこと言うが、限りなくほんとに近いから仕方がない。

桜島と筆者

この地で大島紬に接し、やっと“”のカタチが見え隠れする。

大島紬はニッポンを代表する伝統的な絹織物。
庶民が着ることを許されなかった時代もあった、高貴な織物だ。
でも現在はちがう。
だれでも愛用することができる。・・・ただし、高額だが。

そんな伝統工芸品を、ペアスロープ製品と融合してみたくなった。
無謀にも。


2006年5月、みごとな大島紬を織る機や(工房)に出会った。
運良く。。。
しかし、しかし、丁重に、織物を売って下さいなっ、の言葉にも、
「ハイお売りしましょっ」 ではない。
そんな返事とはほど遠いのである。

 相手は先祖が平家武士を名のる薩摩男児。
 こちらは源氏武士の末えいの江戸の者。
運悪く。。。

・・・これもう最悪である。
源氏 対 平家に、 幕末の新政府軍 対 幕府軍のおまけ付、
犬猿関係どころではない。
昔なら、その場で斬り合いになっていたであろう超敵対関係 !



さて、つづきは “ 第二話 大島紬に戦いをいどむ ” にて。。。
(7月25日発信予定)

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