第2話 2007年8月24日

 上杉謙信の春日山城は小高い丘の上にある。城といっても、すぐに想像するような、水を溜め込んだ堀があり、石垣があり、そのなかに立派な天守閣が、、、というのは織田信長や豊臣秀吉などが平野に築いた城であり、同じ戦国時代でもローカル地域の城は、たいがい小高い山の上に作られていた。

 100円!とリーズナブルな料金のシャトルバスで5分ほど揺られ春日山神社前に。ここで下車し、その前に立ちはだかる階段を登りきると神社。そして100mほど歩くと、初対面、我がヒーロー、上杉謙信の像。

春日山神社へはこの石段を登る、、、かなりきつい。


ついに謙信公と対面。

 謙信の像を眺めていると、ボランティアで案内係りのおじさんが寄ってきて、頼んでもないのに説明が始まる。
 「ここからが春日山の城跡だけど、この石垣はインチキだから。これは作り物だから真に受けたらだめだよっ。当時は石垣じゃなくて、土を盛っただけだから・・・」
 妙に新しいから、言われなくても想像できたが。
 「で、謙信公はどこを向いてるかって、これが関東なんだね。知ってた?」
 関東? 知ってるわけがないじゃねえか。
 「この先に城跡があるんだが、ぐるっと回って1時間ほど。ガイドすっから行ってみるかい?」
 このクソ暑いなか、やっとこさ石段登ってたどり着いたところ。冷たい物を飲んで休みたいので遠慮する。
 「そこにいるから、行くときはどうぞ私を呼んでちょうだい、待ってるからねっ!」
 ご親切ありがとう。でもなぜ、待ってるよっ、て言いなさるのかは、祭りの最中なのにここでも観光客は少なく、ボランティアガイドさん、かなり手もちぶたさなのである。

 日陰のベンチで冷た〜いスポーツドリンクを飲んでいると、観光客をつかまえたオバさんガイドさんが前を通り過ぎる。
 「え〜、謙信公は信州 川中島を向いているのですぅ〜」
 どっちなんだ? さっきのおじさんと違うんじゃねえか! 統一してほしいもんだが、どちらにせよ、この像は昭和の後期に現代人が作ったもの。真実はそれを作った人に聞かなければ、分からんのだ。

ボランティアのおじさん、ご親切ありがとう。

 暑い、いや〜ぁ暑い。オニヤンマが我々をおちょくっているようにすぐ目の前を行ったり来たりしている。日陰のベンチからはまだ動けないでいる。
 するとアスファルトの上り坂を、なにやら気勢を上げてこちらにやって来る者、、、
 おぉ、武士だ! 武士たちがやって来る!









あっという間に武士たちに取り囲まれる。



 この春日山に、こんなに武士たちが集まるとはまったく知らなかった。上杉軍の家臣の武将、多くの足軽(あしがる:歩兵・会社で言えば平社員)がどんどん集まってくる。
 各武将は自分の名前の旗を背負っているぞ、それぞれのヨロイ・カブトのデザインが面白いぞ、足軽も武将によってそれぞれいでたちが違うぞ。
 おっと、上杉軍だけかと思ったら、信玄軍もたくさんいるではないか。両軍ごちゃまぜで500人近くいる。観光客のほうが圧倒的に少ないので異様な雰囲気だが、これは面白い。

 なんでこういうことになっているのかを足軽に聞いてみた。
 「せっしゃたちは、ここから戦国行列を出発するのでござる。・・・えっ、写真? よきにはからってもよいぞ!」
 あんたは武将ではない。足軽なんだから、よきにはからえ、なんて言葉は使わないんだぞ! と思いながらも、そうか、市内でのパレードは知っていたが、ここからスタートというのは知らなかった。それにしても、なんで一般人が少ないのだろうか。・・・それは後で知ることになる。










凛々しいじゃありまでんか、内藤殿。武田軍ではあるけれど。。。

おっ、武田軍の山県(やまがた)殿!
偶然ですなあ、先月あなたが管理して、現在もあなたの子孫が営業している山梨県川浦温泉“信玄の隠し湯”、たっぷりと浸かってきましたよっ。(分かんない人は2007年7月の旅:「奥多摩、秩父、信玄の隠し湯」を)







山本勘助だぁ!
武田軍の軍師として活躍。2007年のNHK大河ドラマ“風林火山”の主役でもある。ここでお目にかかるとは光栄で、カミさん、そっこく隣に。
でもねえ、カミさん昨日までグァム島にいて、みやげに買ってきた“GUAM”のTシャツでは、なんともチグハグで、、、。






どこぞの武将のご子息をちょっと拝借。ハイ、撮るよ〜って言ったら、片ヒザついて刀を手に。ハンパなガキ、いやご子息ではない。
武田信繁・・・武田信玄の弟である。で、小さなお子さんは誰だろうか。








武田信玄である。
他の武将は名前の旗を掲げているが、このお方にはない。偉そうなヤツだなあ、と恐る恐る聞いてみたら信玄公だった。
それにしても後ろの旗は宿敵 謙信公の軍旗。カミさんの帽子も謙信公の“毘”。そしてなぜか望遠レンズを抱えて・・・戦国の世なら、その場でバッサリだな。


おいっ、このカブト、重いかぁ?
俺は足軽かぁ。武将をやりたかったな〜。。。



 武将たちを撮ったあとに気づいたのだが、写真のほとんどが武田軍。両軍ともに同じくらいの人数なのだが、どちらかと言えば地味な姿の上杉軍より、赤で武装した派手な武田軍に自然とレンズを向けていたわけである。
 いやはや、この暑さのなかご苦労なことだ。Tシャツの我々でも日陰にいないとぐったりするのに、皆さん、戦国フル装備。なおかつここから2km以上を行進するというのだから。あの、3歳の坊やは大丈夫なのだろうか。






あ〜、自動販売機はダメでしょう、武士なら竹筒の水でしょう。

それにしてもナンですね、コカコーラの赤い販売機と、赤いヨロイ・カブトの武士、なんだか妙にハマってる。さしずめ、“戦国自衛隊”の逆パターンですな。


足軽がコーヒー。渋い!


おいおい、カキ氷かよ!


「やっぱ、生でござる」


ラムネの開け方で苦戦の武将




「1杯じゃ、足りんのじゃ」


ラムネ男は “六文銭”のマーク、真田(さなだ)の武将だ!


「グァム島から来たんですかぁ?」なんて言ってるかどうか。足軽たちは、若い男女が多い。しかし、よくよく見ると、ドサクサにまぎれてオバさんも。


 ・・・せっしゃは、・・・ござる、・・・よきにはからえ、・・・ござる。あっちこっちで戦国の武士になりきっている地元の皆さん、笑顔が絶えず、暑さなんか忘れてなんとも楽しそうだ、あの、武田信玄以外は。
 察するに、この企画責任者から、「あんたは敵方の大将だから、へらへら笑ってたらイカンよっ」って言われてるんでろうなあ。ご苦労さん。

 ところで何か忘れ物をしているような感じ、、、そう、そうなんだ、肝心のここ春日山城の総大将、上杉謙信が見当たらない。足軽じゃあ分かんないだろうから、謙信軍の武将に尋ねる。
 「謙信? こんな山からは行進しないよっ、あの人は偉いから、街中のメインストリートだけだよっ」
 ずるいんだよな〜って感じで現代言葉にもどっていた。

 さて、我々はひと足先に山を下り、街中で出陣行列を見物することにしよう。
 ・・・上杉謙信、さあどんな登場をするのやら、、、。




春日山神社で必勝祈願(当然、上杉軍のみ)ののち、城下に行進。



次は謙信公が率いる出陣行列。
たくさんの武将が行進、それぞれ説明もしなくてはならないので、
筆者も、頑張って勉強しました。
(学生時代は寝てたのに)

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