2011年10月24日
東北自動車道 佐野藤岡インターを降り、茨城県結城市に向かって走る。
JR水戸線の結城駅前。「重要無形文化財」の横断幕が。
10月6日の京都の飲み屋で、結城紬の織り元旦那衆がうかつにも「今度ウチらの結城にも来てよぉ」などと言うものだから、ならばと同月24日にカミさんと結城市に向かった。あのお誘いは“社交辞令”だったかもしれないが、もう来てしまったのだから仕方ない。
なお、10月下旬ともなれば少々寒く、紅葉巡り以外は走りたがらないカミさんではあるが、着物好きであるがために「結城? もちろん行く!」となる。なにか魂胆があるのか、、、?
東京の弊社ペアスロープを出ておよそ2時間で結城市に着く。まずは昼飯でも食って藤貫(ふじぬき)氏率いる「龍田屋(たつたや)」さん、そして井上氏の「縞屋(しまや)」さんに伺おうって寸法だ。
龍田屋さん到着。
龍田屋さんの呉服屋っぽい(当然か)店内。
結城に参上。
藤貫氏(龍田屋)と、右側は井上氏(縞屋)。
歴史を感じる龍田屋さんでは、藤貫さんと井上さんが待っていた。
「ほんとに来られたんですねえ」「来ちゃいましたよぉ」「でもバイクじゃあ飲めませんなあ」「そうですなぁ」な〜んて会話から始まり、なんとすぐにお茶と茶菓子が出てきた。そいうやあ5年前に鹿児島の大島紬織元の、あの太った人んとこに初めて伺った時、2時間はお茶が出てこなかったっけなあ・・・(その健二郎氏に会うと、いまだにしつこくその話をする。と、たいへん困った顔をするので面白い:性格悪い俺)。
座敷では結城紬の「イロハ」を丁寧に説明してくれる旦那衆。それを皆様に簡単にご説明すれば、「
本場結城紬
は人力の“
手織り
”」「頭に本場とつかない
結城紬
は動力を使った“
機械織り
”」。極めて乱暴な言い方をしたが、それは鹿児島の「本場大島紬と大島紬」の関係とは異なる。
なお、「イロハ」の説明に+αを書き加えれば、、、
本場結城紬の糸は手でつむぐこと。そして反物の価格は、下は50万円くらいから上は数百万円〜である(一般的な流通反物は100〜200万円くらいかなあ)。そして製作工程の違いから、鹿児島の本場大島紬より高額となる(※本場大島紬がけっして低額という意味ではない)。
本場結城紬の目印は左の赤い「結」の字。重要無形文化財は「本場結城紬」に与えられる。
龍田屋の創業は文久3年(1863年)。これは明治時代の反物で、漢字が読めないと思ったら読み方が逆。
絹糸の真綿から糸をつむぐ藤貫さん。「あとでプロの技をお見せしましょう」って。
カミさんに結城紬の反物を見せる井上さんだが、ここは藤貫さんちなのである、、、。
これが本場結城紬を織る地機(じばた)」。機械といえば機械だが木製の人力。
龍田屋のスタッフさんが我らのために地機(じばた)を使って実演をしてくれた。※これは帯(おび)。
本場結城紬の絣(かすり):高価な反物ほどこの柄が複雑になってゆく。
カミさんが目をつけた反物。これは本場結城紬だったかそうでないかは不明。本場なら相当な高額なので、さっさとしまっていただきたいものである。
おばあちゃんの糸作り。
結城の旦那がたからある程度の説明を受けたらクルマで移動。先ほど「プロの技を見せる」といっていた、糸作りのおバアちゃんちへ我ら4名が参上。
「おおぜいの人に見られて仕事するのって恥ずかしいねぇ」と言いながら、おバアちゃんの指先はテキパキと動いている。
やはりプロの技だ。龍田屋藤貫さんが実演していた動きとはぜんぜん違うのである(藤貫さんがシロートという意味ではない!)。しかしどんなに手が速くても、1反分(着物1着分)の糸を作るのに2ヶ月ほど掛かるという。すごい手間だ。
なおこの工程がなければ、重要無形文化財である本場結城紬とは認定されない。しかしこの重要な作業に後継者は少ない。おバアちゃん、どうか末永く続けてほしいと願うばかりである。
絹の真綿から糸をつむぐ時、キュッキュッと音がする。その手さばきは恐ろしく速く、カメラを高速シャッターにしてももなかなかとらえきれないが、それを私の写真技術でカバーする(自慢みたいに聞こえる)。
おバアちゃんがつむいだ絹糸。このオケ7杯で1反分となる。
おバアちゃんち、広い!
機織(はたおり)。
機織さんへ。
機織と漢字で書いて「はたおり」と読む。とえらそうにいう私だが、つい数年前までは「キショク」と読んでいたようないないような。
さて、おバアちゃんちからクルマで数分移動して、次に案内してくれたのが機織の作業場。その作業風景は、鹿児島の本場大島紬織り元:関絹織物(健二郎氏)で見ているが、その様子は異なる。健二郎氏のとこはバアちゃんが多かったが、ここでは若い女性が織っているのだ。この件に縞屋井上さんは言う。
「やはり機織の後継者が減っていて、なんとか若い女性に興味を持ってもらおうと、我々本場結城紬の組合は努力しているんですよぉ」
よその心配してはいられない。弊社のような縫製業はもっと深刻かな。若い職人はほとんどいないし、日本製そのものが風前のともし火だし、、、。
おバアちゃんたちがつむいだ絹糸。これは染色前の行程の糸で職人ワザ。
絣(かすり)模様を織っている。針を使い、ものすご〜く手間が掛かっている様子が分かる。
機織の目の前には絣(かすり)の図面が置かれ、それを確認しながら織っている。
その図面。絣の設計図といったところ。それにしても、なんと精密なことか。
織るのは女性の仕事。男衆は織る前の糸作り準備作業に徹する。
おバアちゃんの糸作りから機織現場まで見学すれば、もうすでに本場結城紬が高額な理由は理解できた。そしてあの精密な設計図面の絣(かすり)の反物が織り上がるのに、いったい何ヶ月掛かるのだろうか?と質問するつもりが「この反物、いったいくらするのですかねえ?」な〜んて聞いてしまえば「300、いや400万かなぁ・・・」と答える藤貫さん、、、すみません、貧乏性なもんで、つい。
結城紬をバイクに積んで・・・。
そして龍田屋さんに戻って・・・。
さ〜て、我らが結城の旦那方に会いに来た本題に入ろう。
龍田屋さんに戻って、その当主藤貫さんにトンボ柄の印伝(いんでん:鹿革にうるしの柄)を見せる。左写真をよ〜く見てもらえばお分かりと思うが、それは弊社バッグやキーホルダー等に使っているものである。
「トンボ柄の絣(かすり)を入れた本場結城紬を織れませんかねぇ?」と話せば、「えぇ〜〜〜! トンボを絣でぇ!」と困った顔をする藤貫さん。しかしすぐさま製作用紙を持ってきてトンボを描く。
・・・織ったこともないトンボの絣柄を入れた“本場結城紬”は、そう簡単な作業ではないだろう。これが実現できるかどうかはまったくの不明。でも、作ってみたいんだよねえ、、、希望として。
“トンボ絣の本場結城紬”は、納期的に2012年の春の製品化(これを使って何かを作る)は間に合わない。というよりも、そんな超高額な絹織物を使ったら、いったいどれほどの価格の製品になってしまうのかを想像すると、とても現実的ではない。
で、藤貫さんが見せてくれたのが、動力を使った“結城紬”。ペアスロープカラーのモスグリーン地の反物である。“本場結城紬”と比べてリーズナブルな価格なので使いやすい。とはいえ面積あたりは「牛革の数倍」といえば高額であるが。
というわけで、龍田屋藤貫さんからグリーン地の反物を購入。さて次は縞屋井上さんとこに伺おうか、と外を見たら、もうとっくに陽が落ちている時間。縞屋さんはまた次にということで反物を丁重にバイクに積んで我ら2台は東京に向かった。
・・・どんな製品作りになるかはお楽しみに。
で、この翌々日、鹿児島の本場大島紬 織り元 関絹織物に向かうのである。待ってなさい、健二郎殿。。。
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