2011年10月26日


羽田から鹿児島に飛んでゆく。

鹿児島市内に着くと、西郷どんが迎えてくれた。。

鹿児島の路面電車。線路の芝は粋な計らいだ。


 結城(ゆうき)紬を勉強した2日後の10月26日、今度は大島紬をと鹿児島に向かった。カミさん着物で、飛行機で。
 二輪業界なんだから「バイクで走っていけよぉ!」という声もあるだろうが、遠いんだよねえ、時間も掛かるし旅費もたいへんだし。その点、飛行機は“速い”“安い”。JALやANAに乗るなど贅沢せず、“スカイマーク”だと事前割引で片道\12,800(もっと安い時もある)なのだ。これなら飛行機嫌いの私でも我慢できる。




本場大島紬織り元、関絹織物の若旦那 関健二郎とは。

 関絹織物を訪問するのは今回で4回目となる。鹿児島に着いて早々に伺うと、あのでっかいカラダで不機嫌な表情の関健二郎氏がいた。
 不機嫌な、というのは我らが来たからではなく、それが氏の普段の表情で、けっして不機嫌ではない。今後の写真もみなそんな顔で写っているが、どうか誤解のないよう願いたい。(っていうか、少しは笑ってもいいんじゃねえかと思うけど)

 そして反物がある部屋に案内されてすぐ、なんとササッと出てきた“お茶”。
「あれっ、今日はすごく早いねえ、お茶。以前は2時間以上経ってからなのにねえ」と言えば、
「もう何度も何度も、そればっかしやねえ」。
そんな会話から始まり、さて健二郎氏の熱い熱い大島紬論、そして自慢の反物を我らに見せる。


私にというより、カミさんに反物を見せ、それはそれは詳しく説明する健二郎氏。

これが関絹織物 本場大島紬の証書付反物。この織り元の技はレベルが高いと、よそからも聞く。
さまざまな反物を広げてくれ、その見事なデキに興味津々のカミさん。 「もっと見たいってぇ? じゃあお見せしちゃる」。押入れからもどんどん出す。


結果こうなる。部屋じゅう反物だらけ。「かたづけるのたいへんでごわす!」

 関絹織物は手織りである“本場大島紬”の織り元。その一般的な小売価格は1反(1着分)40〜80万円と聞く。そしてこの織り元の特徴は絣(かすり)織りのみならず、格子柄(チェック柄)を得意とする。そのタータンチェックによく似た柄が弊社ペアスロープにはぴったりで、その仕入れにやってきたのだ。
※“本場大島紬”にも結城紬同様に“手織り”と“動力機械織り”がある。機械織りは手織りの10分の1ほどの価格である。

「奥さんにはこの赤黒が似合うでしょうなあ・・・」
 なんかやな予感がする。ちがうぞ健ちゃん、いや健二郎殿。カミさんの反物を買いに来たんじゃないわけで、それにここでは一般販売はぜったいしない、って言ってたじゃないの!。
「ではこのジュバン(着物の下着)もオマケに付けちゃりましょう。」
「やぁ〜 ウ レ シ イ 〜〜〜」
・・・もうだめだ。健二郎殿もカミさんも、私がここに来た用事をすっかり忘れてしまっているのだ。
「あっ、この赤黒の反物より、今織っているものの方がデキが良いので、そっちにしたらどうじゃろ?」
「じゃあ、そちらを頂きますぅ、それとあれも」
・・・やっぱり買うんかい、2反(2着分)も。値段も聞かないで。。。




糸作りは兄さま。

何十種類もある関絹織物の絹糸・・・美しい。

 ここは織り元ならではの音がする。「バッタン、バッタン・・・」と。以前から来るたびに見学しているが(見学不可の張り紙アリ)、気になってしょうがないので再び。その前に糸作りのスペシャリストである、健二郎氏の兄さんにご挨拶。
「いつぞやは天蚕(てんさん)糸でお世話を掛けましたぁ、健二郎氏はたいへん困ってましたねえ」
「いやぁ、弟はたいしたことやっとらんです。たいへん困ったのは私ですよぉ、ハハッ」・・・聞いてなかったじゃねえの、兄さんの苦労を。

 それにしても美しい絹の糸である。「綺麗な」と表現できるように輝いている。本場大島紬のデキの良し悪しは、この糸作りで左右される、といっても過言ではなかろう。それほど重要な仕事なのである。









でかいカラダで織る。

 健二郎氏と機織(はたおり)場である2階に上がる。先ほどからバッタンバッタンと単調な音だったのは、おばあちゃん一人だけが織っており、ほかの人は休んでいるから。

普段は数名がバッタン ドタバッタンの機織場。
おばあちゃん、頑張ってます。


 “本場大島紬”に本場がつかなければ、鹿児島本土や奄美大島の産地ではない。
 ところで本場結城紬と違うのは、その機織りの木製の道具。本場大島紬は「高機(たかはた)」で、本場結城紬は「地機(じばた)」だ。それがどう違うのかは、そう簡単に説明できないので省略しよう。(ほんとはカタチの違いしか分からない俺です)
 さて健二郎氏が、そのデカいカラダ(0.1トン+α)を強引に入れ、機織りを始めた。不器用な人だと思ったら大間違いで、なかなか器用に織っている。
「ほらこれっ、この赤黒の織物が奥さんのものよぉ」
 バッタン、バッタンと15分ほど真剣に織っていた健二郎氏。しかし進んだのはほんの2〜3ミリである。1日中織っても20センチほどだから1反約12mを織るのに何十日掛かるやら。。。


カミさんの反物を自ら織る健二郎氏。この光景は別として、それにしても美しい絹織物である。



健二郎氏のおやじ殿、伝統工芸士である。残念ながらこの日は不在でお会いできなかった。(2006年訪問時の写真)




トンボ・・・なんとかならんかねえ。

 ここに来た用事は、タータン柄の本場大島紬を仕入れるだけではない。本場結城紬の旦那方に相談したように“トンボ”の絣(かすり)を入れたものが織れるのか織れないのかを健二郎氏に聞きたかった。
「とんぼぉ〜!? また無茶言いますなぁ、それがどれだけ難しいか、わかっちょりますかぁ?」
「あっ、なんだできないんだ!」
「いや、たいへんだっちゅうの・・・トンボじゃなくて、セミとか蚊(か)でいいんじゃないの?」
 そう話しながらある反物を広げてセミと蚊の絣(かすり)を私に見せる(左写真の上が蚊、下がセミ)。
「どこのだれが見たってセミには見えないし、なんでこれが蚊なんだぁ? ただ小さいだけじゃないの! 鹿児島じゃあ、こんなカタチしてんのかねえ」
「昔からセミと蚊の絣(かすり)模様はこうなんだから、なんも問題ないわけで・・・」
「ちがうなあ、セミや蚊じゃないよ、これ・・・」

 どうやらトンボ絣には自信がないようすの健二郎氏である。いや、氏は私が満足するトンボ絣ができるかできないか分からないので、そのデキを心配しているのである。
「あのね、2日前に結城紬の旦那方は『トンボ絣、面白そうですねえ、ぜひ織ってみたいですなあ』って言ってたけどねえ・・・」
「えっ? 結城はそう言った? ほんとぉ? う〜〜〜ん・・・」
 ・・・健二郎氏のヤル気をそそるのは同業者のその言葉が一番なのだが、とはいえ、トンボ絣がそう簡単なものじゃないことは、もう十分に承知している。トンボは前にしか進めない“いさぎよい虫”だ。この先、じっくり時間を掛けて、前向きに検討してゆこうと思う。





鹿児島のうまいもん。

 いつのまにか陽が暮れて、となれば当然のごとく飲み屋へ。といってもそこらにある居酒屋ではなく、健二郎氏お薦めの「鹿児島の、ごっつう、うまかもん」を食わせる小料理屋。・・・しかしなんですなあ、旨そうな料理を手にしても、なんでぶっきらぼうな顔してるんですかなあ。普通は笑顔の場面ですぞ。

 鹿児島近海の魚、そして見事に旨い奄美大島の島豚のシャブシャブを食いながら、なみなみ注いだ芋焼酎を飲みながら氏が話す。
「京都にね、染物屋の“いづつ”山田君ちゅうのがおるのよ。明日、新幹線で帰るんなら、ぜひ寄って。電話しとくから。面白いものができるかもしれん」
「了解、じゃあ俺も電話して伺おう。で、山田君の下の名前は?」
「知らん。山田君でいいんよ」
「どんな関係なのかな、あなた方は・・・」  



奄美大島産島豚。油ばっかし?、と思うなかれ。この油が信じられないようにサッパリとして旨い!

たっぷりご馳走を頂いて、大好きな路面電車で鹿児島中央駅のホテルに向かおうとする我ら。

なかなか来ない電車に、時刻表を見る健二郎氏。
今日いちばんの笑顔である。 鹿児島中央駅方面の終電は、すでに過ぎていた。




 関絹織物から弊社春の製品用、本場大島紬を数反購入し、カミさんは個人用で2反を発注して、明日は京都経由で帰路の旅。しかしまあ、反物ばかりを買ったこの3日間、ウチは呉服屋じゃあないんだけどなあ・・・何を作ろうかなあ・・・。

※結城紬の龍田屋さん縞屋さんと同じく、関絹織物さんも問屋さんへの卸し業務主体で、一般小売販売はしておりませんので、あらかじめご了承ください。


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