2011年12月〜2012年1月


 紅葉巡りは、夫婦坂二輪旅の毎年恒例行事であり、当然のごとく2011年の12月初め、紅葉中の京都に向かう。カワサキW650とホンダの250スクーター フォルツァで。なぜスクーターなのかと申せば、京都伏見店の“足”として、そのまま置いてしまうから。


東京〜京都 5時間45分、店となる建物の横に到着。 裏口から坪庭に入るカミさん。


 京都紅葉巡りは、ツーリングサイトでいずれご案内するとして、せっかく借用した器に来たのだから、現場を見ながらあれこれと建物の改装を考え、皆さまにお知らせしよう。
 それにしてもここは、東京のペアスロープ店舗よりかなり広い。売場面積を2倍としても、まだ部屋が余る。ならば、と遊び心が次々に浮かんでくるのである。





外装を改良しよう。

 築120年の建物は通気性が良く、夏の暑さに適応する作りになっている。だから冬は寒い。京都は東京よりも気温が低いのだ。であるから、この建物の家主さんは、いたるところにアルミサッシ改造をしていたのである。
 日常生活を思えば当然なのだが、店舗としてはどうにもアルミサッシがめざわりでならなかった。暖房・冷房効果を考慮すれば、全てとはゆかないが、せめて入り口だけでも木製の開閉ドアにしたい、と、古建具を購入した。
 そしてその入り口には暖簾(のれん)が似合う。京都五条の“いづつ”山田氏にすでに発注しているその暖簾は、入り口だけで4本。といっても4本をずらりと並べるのではなく、春夏秋冬で交換してゆこうって寸法だ。たぶんインパクトある外観になるであろう。





内装を改良しよう。

直前まで家主さんが住んでいたので、まだ生活用品がたくさんある。

 玄関を入ると土間。土間は昔の家の基本的な作りであった。その字のごとく、下が土であるのだが、現在ではほとんどの古民家や農家の土間はコンクリート敷きとなっているのが現状。
 さてこの建物はといえば、板の間である。なぜそうなのかは、かつて米屋を営んでいたからと聞くが、やはり木の床は温かみがあって良いですなあ。

 土間から上がると、部屋は全部で11部屋+ダイニングキッチン(ここだけ近代的)。その内、畳部屋は7部屋。関東よりも大きめな京畳、張り替えようかなあ、なんて気軽に枚数を数えたら、39.5畳もあるでないの・・・無理だなあ、予算的にねえ。
 なお各部屋には江戸・明治期からの家具があり、家主さんの「よかったら店舗に使ってください」とのご好意で、お借りすることになった。これがまた味のある家具ばかりでしてねえ、そして蔵の中からも・・・。 


しっかりとした水屋箪笥(みずやだんす)。りっぱだ。

明治・大正時代のタンスも使わせていただく。 織田家(家主さん)の家紋入りチョウチン箱。祭りの時に使うそう。
納屋や蔵からごっそり出てきた年代物の皿。その価値は不明。 長持ち(昔の衣装ケース?)が7つも。これ何に使おうか。 蔵の中。あるはあるは、よくわからない昔の道具が。

番傘・・・さてどうする、これ。


 江戸・明治・大正・昭和初期の家具や道具が、広い建物なのに所狭しと置いてある。その一部を拝借して店舗ディスプレイにも活用しようと考えた。そして内装は、できるだけ改造せずに、古き良き時代の面影を残そうと・・・ま、少々の不便は覚悟の上で。





坪庭と蔵と畑。

 京都の町家といえば、その奥に坪庭がある。1坪2坪といった小さな庭である。しかしこの商家は、その倍の広さを持つ。坪庭と言っていいのか不明だが。
 縁側付の和室の前が坪庭だ。この部屋からの眺めは「あぁ、ニッポンだなぁ」ってな風情である。そうだ、ならばこの和室を珈琲ルームにして、遠くから来られたお客さんの休憩場所にしよう、と考える。
 秋には真っ赤なモミジ、その奥に真っ白な蔵。さてその蔵は何に使おうか・・・今はまったく考えていない。が、いずれ蔵の前に“居酒屋 蔵”なる暖簾が掛かってもいいなあ、な〜んてねえ。
 そして蔵の奥には小さな畑がある。小さいといっても我が家よりずっと広い60坪程度。今、いちばん考えてることは・・・春にはどんな野菜の種をまこうか。おそらく、夏には珈琲のデザートに“冷やしトマト”が出るのではなかろうかな。。。


現在、雑草だらけの畑、これからがたいへんだ。





さてさて・・・改装開始!

 内装設計図面ができ、2011年12月中旬、ふたたび京都伏見に訪れる。東京から設計士のイトーさんを連れて来て。
 建具や壁を付けたりするのはもちろん大工さんだが、その下準備や塗装は我々が行う(予算もないことだし)。ま、いちばん働くのは、地元の弊社スタッフ橋本ではあるが。

不要なところを撤去する設計イトー氏。ここには、東京からすでに3回足を運んでいる。 土間。表面を削って、クギを打って、すき間をモルタル補修して・・・ここは筆者担当。


 土間の補修が一段落ついたと思ったら染物屋の山田氏がフロシキ背負ってやって来た。
「毎度おおきにぃ、暖簾、できはりましたぁ」
「えっ、早っ。まだ店はぜんぜんできてないんだけど、まあ遅いよりいいか。ところでクルマで来た?」
「いや、電車とタクシーですぅ」
「なんで荷物あるのにクルマじゃないの?」
「あっ、今晩ここで宴会があるような気がしてぇ」
 察しがいい京都五条の山ちゃんである。改装完了はまだまだ先だが、すでに衣食住、特に宴会はできるようにしてあるのだ。
「ところで、暖簾は何本できたぁ?」
「10本ですぅ、もう1本のトンボ暖簾は来月ですぅ」
「あれま、俺、そんなに頼んだっけぇ?・・・」
 ・・・調子に乗って、結局11本もの暖簾を発注していたのである。


蔵の暖簾も頼んであったし・・・。





まだまだ改装はつづく・・・あとは橋本に任せて。

















こんなふうになりましたぁ・・・。

2011年12月・・・建物借用時の状態。




そして2012年1月下旬。



アルミサッシの玄関を、木製の格子と引き戸に換え、大理石の台を撤去して、蔵に50年間眠っていた「ばったりしょうぎ椅子」を引っ張り出して設置・・・ど〜です、なかなかいい雰囲気になったでしょう。



ためしにノレンを掛け、ばったりしょうぎ椅子に「もうせん」(赤い敷物)を敷くと、ほ〜ら・・・・・呉服屋さんみたいになってしまったのだ。。。





2011年10月の鹿児島。 2012年1月、京都伏見の珈琲ルームにて。

 昨年10月、鹿児島の関絹織物に行った時に健二郎氏が織っていた大島紬の着物もできあがり、2012年1月末に、春のカタログ&サイト撮影用としてそれを着用した。(当然だけど筆者ではない。俺はそんな趣味はない!)

 店舗の内外装を担当してくれた地元の職人さん方の仕事は終わり、同時進行していた弊社スタッフによる塗装その他仕上げも、この時点で9割がた完成した。あとはこまかな備品作りや照明やディスプレイを残すのみとなった。

 ・・・弊社は革ジャン屋であり、ライディングギアのメーカーであるのだが、う〜ん、そうはまったく見えなくなってしまったかな。近所の方々は、きっと居酒屋か蕎麦屋か呉服屋ができると思ってるだろうなあ。特に大島紬・結城紬の旦那衆、ぜったい呉服屋じゃあないからね、そこんとこよろしくね。
 ・・・しかし呉服屋じゃない、ってのも言いきれないかな。織り元の旦那衆(唯一無二之会)はここに集まって、絹織物の展示販売イベントでもやろうと策略している。
 もし絹織物好きの方がこれを読んでいたら、ぜったい涙もんですぞ。なんたって織り元の旦那衆みずからが販売するのだから、全国から交通費を使ったって、かなりの嬉しい誤算となるだろう。(2012年の開催日は第七話でお知らせします)





う〜ん、こんなもんまで作ってしまった、、、。





第七話では、店内詳細や、織り元旦那衆との合作製品をご案内します。



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