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<長い長いプロローグ> |
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◎ホントに長いので、さっさと次のページに進む → |
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5月の初旬、M氏より連絡が入る。仕事の都合で今夏も北海道ツーリングに行けそうにないとのことだった。M氏とは3年前の夏に一緒に北海道を旅して以来、再度の渡道計画を密かに進めていたのだが(別に隠し事ではないけど…)、色々な事情で昨夏も企画倒れに終わっていた。M氏が経営する特殊防具服飾品店が今年でめでたく20周年をむかえ、その記念企画やらで今年も何かと忙しいらしい。20年といえば私のバイクキャリアとほぼ同じであり(ぜんぜん関係無いけど…)とにかく立派なことであることには変わりないので(多分ね)、異を唱えるわけにもいかず、今夏の北海道ツーリング企画もしぼんでしまいそうになっていた。 |
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今年の2月、私は“四十”になっていた。そう、40年も生きたのである。目的や野望などまったく持たずにだらだら過ごしても人間は40年の歳月を生きられることを証明するために今日まで生きてきたわけではないが、更に10年後には、だらだら過ごしても半世紀を生続けられたことを証明することをまんざらでもなく期待している。しかし、四十になり、怠惰なサラリーマン生活は私の心身をスクラップにする勢いを加速していた。昨年末に風邪をこじらせ、喉の痛みが断続的にその後2ヶ月以上も続いた時は、いくら脳天気(というかズボラ)な私でも体力の衰えをいたく痛感したものだった。このままでは近い将来に色々と不都合が生じるであろう兆候が、もはやごまかしようのないまでに現れている(とその時は感じていた)。 そのせいか、昨年のように「しかたがない、北海道には来年行けばいいさ」という考えをすんなり受け入れることができないでいた。その理由のひとつに重の“林道中毒”があった。肉体のスクラップ化抑止を目的に今年の3月に初めて購入したオフロードバイク(セロー225)での林道遊びに自分でも驚くほど、どっぷりとつかってしまったのである。3月初旬から実に11週間連続で週末になると林道を探し求めて山梨県や伊豆半島などをウロウロと走り回っている。これは私のバイク歴のなかでも最多連続週末ツーリングの記録を打ち立てることになった出来事であった。当然、週末でも当たり前のように出勤していた優良サラリーマン(?)はどこへ行った?という状態であり、「おいおい、四十のオヤジだぞ…」と自分でも呆れることしきりであったが、もはや止めようもないことを自分が一番分かっているわけで、この現象を“林道中毒”と称して無理矢理に納得することにしている。 しかし、「どうしてこの遊びを20年早く始めなかったのだ!?」「今度この世に人間として生まれてくることがあったら16才で免許を取って直ぐにセローを買うぞ!」と念仏のように唱えることしきりである。「カモシカに生まれ変われば良いではないか!?」「いや、それは違うぞ(多分…)」 |
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↑ 林道中毒 ↓ | ||
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四十になって、何か焦りのようなものを感じているのも確かなことである。人生の折り返し地点は確実に過ぎているという強迫観念めいたものが否応もなく背中に張り付いて離れない。これっぽっちも不幸ではないつもりなのだが、人生ってこれだけなの…?と心の声がする。折り返したというイメージから、今までが上り坂で、これからの人生が下り坂などと悲観的に考える気はさらさら無いが、いつの間にか体力・気力が衰えてしまい、肉体的にも精神的にも行動半径が狭くなってしまうのではないかと漠然と怯えていた。 非力な225ccエンジンで出かけるには、日帰りでの行動範囲は限られてしまい、自宅から150km圏内の希少な林道の多くは既に<ご馳走>になっている。(林道の無意味な舗装化はんた〜い!) |
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※ご馳走の本来の意味とは違うが、私は林道を走ることを「走破」とか「征服」とは言いたくないと思っている。自然と、それと格闘して道を切り開いた先人に敬意を表して<ご馳走>と言うことにしている。 |
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そんなこんなで相変わらずの週末を繰り返していたわけだが、ふと、北海道に行けば気が遠くなるほど沢山の<ご馳走>があるであろうという幼稚な思いつきで、五反田の書店で手に取ったツーリングマップル全面改訂版には、まわりの客をその場から遠ざけるほどの“ほくそ笑み”を私に与えてくれた。「凄い、凄いぞ!」と、ぶつぶつ独り言を言いながら地図を手にして震えている四十オヤジは、さぞかし不気味だったことであろうが、そんなことはどーでもよろしい。 ツーリングマップルは北海道編だけでも私の部屋に数冊も積まれているが、セローに乗るまでは林道など見向きもしていなかった。私にとって林道マークは「通行止め」と同じ意味だったころに比べて何たる変わりようであろうか。とりあえず何でもいいから“四十”万歳としよう! 「よし、行くぞ。セロー号と一緒に北海道に行っちゃるぞ!」という思いがふつふつと湧き出し、抑えようがなくなるまでにたいした時間はかからなかった。 |
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ということで、とりあえずの日程を以下のようにしてみた。 1日目(月):18:30大洗発〜船内泊 2日目(火):13:15苫小牧着 3日目(水): 4日目(木): 5日目(金):23:45苫小牧発〜船内泊 6日目(土):19:00大洗着 全行程で5泊6日の計画だが2回の船内泊があるので道内では実質3泊4日しかないのである。リフレッシュ休暇は翌水曜日まで12日間もあるのでもったいない気がするが、とりあえずこの日程をベースにして気分や天候によって2〜3日延長してもいいかな?とフレキシブル(いい加減ともいう)に考えることにする。 |
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6月5日、一泊目の宿として考えている池田町のペンション「フンベHOCおおくま」に予約のメールを出す。2時間ほどで携帯電話に予約確認の電話がかかってきて予約はあっさりOK。このペンションは3年前の夏に初めて利用した。その時もフェリーで上陸する苫小牧から程い距離ということで宿泊地に池田町を選び、宿はWebで適当に探し出したと記憶している。2回目の利用だからだろうか、面倒な内金の事前振り込みとかは今回は不要とのことだった。そのことを告げる電話の声は、忘れもしない“こだわり”まる出しのあのオーナーだ。 3年前の予約の際に、「オーナーのおまかせディナーコースというのは、どういうメニューに なりますか?」という私の問いに対して、「その時の気分で変わるからなぁ。何とも言えんねー」と言ってのけた時から、このオーナーとの戦いは始まっていた。 いささか粗雑とも思える態度をとるだけあって、料理は味・量ともになかなかのものであったが(そうでなかったら、とっくの昔に暗闇で押し倒されていただろう(倒してどーする!?))、夕食中、唐突に活ガニ、サーロインステーキ、メロン、じゃがいも、トウモロコシ、乳製品などのこだわりの講釈を永遠2時間も続けたのにはいささか辟易したものだった。特にその時同行していたM氏も自他共に認める“こだわり派東京都太田区代表”という人だったので、その時の遺恨は東京に帰ってきてからもしばらく続いたものだった。 |
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3年前の直接対決 左上に敵対心をむき出しにしたM氏の横顔が... |
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そんな殺伐とした過去があるにも関わらず、どうして再びこのペンションを宿に選んだかというと、前回は池田町に泊まったのにワインを呑まずステーキも食べずにカニばかりむさぼっていたという失態を犯していたからである。オーナーがカニの卸業を営んでいるので、カニ料理も売りにしているペンションなのだが、やはり池田町であるからにはワイン&ステーキとしっかり勝負しておかないわけにはいかないのである。 ということで今年は「ステーキディナー・スペシャルコース(12,500円)」を思いきって奮発するのであった。もちろん、カニとの勝負は今年も別の場所できっちりつけるつもりだし、今回のツーリングの目玉企画のひとつである「積丹半島ウニ丼決戦」も控えているので心してかからねばならん! あ、いかんいかん、M氏の影響で「何事も勝ち負けがすべて」モードになってしまっている。本来の私は争いを好まない温和な性格なのに...。 |
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6月7日、福島県に温泉一泊ツーリングに出かけた。バイクはGSX1400。梅雨入り直前の時期に、なんとか好天に恵まれた。気心の知れた仲間8名とのグループ旅行も悪くない。M氏も一緒だ。温泉と酒と談笑に二日間があっという間に過ぎていった。しかし、時々頭をもたげる林道中毒症状がチクチクと脇腹を刺すのにはまいった。辛抱しんぼう、あと5週間だ...。 |
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![]() 御臨終のバイクを押す仲間たち |
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6月21日、梅雨の合間の奇跡的な晴天。実に6週間ぶりに林道に走りに出かけた。東京は32℃の夏日になる予報だったが、山の上は23℃くらいで、空気がサラッとしていて気持ちが良い。吸い込まれそうな青い空、木々の緑が目にしみる。「あぁ、やっぱり自分の居場所はここだな」などとキザに思って照れる。 ライダー同士のピースサインの良き伝統はすっかり廃れて久しいが(北海道だけは別だけど)、林道ではその伝統がまだしっかり残っている。ガレ場ではハンドルから手を離せないことが多いので、ペコリと会釈するか、短くホーンを鳴らし合う。気分が良いし、勇気が沸いてくるから不思議だ。だから林道で出会ったライダーとは気さくに話ができる。 |
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6月30日、東日本フェリーが倒産したというニュースが流れた。おいおい、予約はどーなるのよ!?と慌ててしまった。会社更生法の申し立てをしたそうで、フェリーの運航は引き続き行われると聞いてほっと胸をなで下ろした。本州と北海道をつなぐフェリーは年々航路や便が減っており、北海道ツアラーには厳しい時代になっている。JRのモトトレイン(大阪−上野−函館間をバイクごと積んで走る寝台列車)も5年前に廃止されている。夏場に集中する帰省客や旅行者によるフェリーの乗客数が少なくなったとしても、1年を通してみれば会社の経営に影響が出る程の減少ではないと思う。確かに一時期の北海道バイクツーリングの大ブームの頃に比べてツアラーの数はかなり減ってはいるが、東日本フェリーの倒産の原因は、農作物や商品の流通が空輸に移っているからなのだろうか?
心が痛むニュースだ。 |
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7月2日、さんざん悩んだあげく、ようやく2日目の宿泊地を決めて宿の予約にとりかかる。その日の走行コースに摩周湖や神の子池や開陽台(北19号線)など盛りだくさんに詰め込んで、それらのポイントをできるだけ林道でつなぐコースを考えると、オホーツク海岸線をあまり北上するのは厳しいであろう(何しろ非力な225ccだし)ということで紋別あたりまで北上するのは断念して、サロマ湖畔近辺で宿泊することにした。サロマ湖畔で宿を探すなら迷うことはない、宿はあの有名な『船長の家』である。この民宿のカニ料理が質と量ともに半端ではないにも関わらず、未だに1泊2食で破格の5,980円!を続けているとい う情報は、ちょっとインターネットを検索しただけで見えてくる。前夜はステーキで、続いてカニ三昧である。多分、腹を壊すであろう。 既に宿泊予定日の2週間前だったので心配だったが、『船長の家』はすんなり予約がとれた。ただし「この時期はYH方式の同性相部屋になりますけど、よろしいですかー」と、気さくそうな女将さん?の声が数百キロの距離を隔てて携帯電話口に響く。さすがに人気の宿だからなのであろう、夏休み前の平日にも関わらず予約がいっぱい入っているようだ。相部屋には少々抵抗があるものの、まぁそれも楽しいであろう。おそらく相部屋になるのは同じライダーだろうから、旅の話とカニ料理と酒で盛り上がるのも良かろう。ということで「はい、相部屋で構いませんよ。よろしくお願いします」とふたつ返事で予約成立である。 |
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7月6日、バッキングの練習に余念がない(はい、A型です)。セローにはキャリアを付けてあるが、何しろ幅が狭い。幅60cmのツーリングバッグを安定して固定させるには工夫が要る。ダート走行の際の振動を考えると、相当しっかり搭載させる必要がある。3年前の北海道ツーリングの時には、GSX1300Rの小さなリアシートに同じバッグを上手く搭載したのだが、セローの場合は勝手が違う。セローにはバッグから伸びている固定用のバンドを結びつけるところがないのである。 | ||
![]() ハヤブサと見事なバッキングの図 右はM氏の12R |
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ガレージの中で蚊に刺されながらあれこれ思案してようやくのこと納得のいくバッキングができた。ゴムネットで覆ってしまうとモノの出し入れが面倒になるが、しかたがない。荷崩れして事故をおこすよりマシである。 | ||
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7月8日、サロマ湖畔の民宿『船長の家』から案内状が届く。民宿までの道順やサロマ湖近辺の観光情報、海産物の情報などがA3用紙に細々と手書きで書かれており、カラーコピーを使った手製の案内状だ。民宿にも関わらず、なんて気の利いたサービスであろうかと関心する。 |
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