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 “信州信濃の蕎麦よりも、あたしゃあなたのそばがいい”今に伝えられた昔のたとえ話しだが、蕎麦が異性と比較されるほど重宝されていたのだろう。食の種類が豊富にある現代と昔とでは大きく異なるが、その言葉を少しでも感じられる蕎麦とはいったいどんな味なのだろうか。蕎麦を意識して食べるようになったこの約10年間、そして昨日食べた穂高町の蕎麦でも、まだ分からないままつづいている。こんなことを考えながら、白馬から長野市方向に走り、美麻村の蕎麦の里、新行へと向かう。
 新行は、全国の数ある蕎麦集落のなかでも、地元産の蕎麦粉を使う数少ない集落。その中に数軒の蕎麦屋がある。10月中旬の蕎麦祭りには、遠くからも新蕎麦を求めて多くのお客で賑わうと聞いたが、今日はその蕎麦祭りのあとの平日、行列をつくって待つようなことはないだろう。
 交通量が少なく、のんびりとした山里を抜ける通称オリンピック道路をちょこっと走れば美麻村。そしてほどなく新行の集落にたどり着く。



 私とカミさんの場合、昨日は激辛の大根おろし蕎麦や温かい山菜(きのこだけ)蕎麦やらの、蕎麦通に言わせれば「それで蕎麦本来の味が分かるわけないでしょ」ってなもんを喰ってしまった。ざる蕎麦一筋であった“うどん先生”こと讃岐の尾原君がいないので、昨日の蕎麦との純粋な比較ができないのは残念。
 さて、着いたのはこの新行で名高い“山品”。農家と食堂を足して二で割ったような店構えで、厳格といった感じではなくほっとする。店内に入ると平日の1時過ぎにもかかわらず、10数人の先客がいるが、思いのほか広い店内なのでゆうゆうと座り、メニューをながめる。ん?、釜上げ蕎麦?、讃岐で釜上げうどんならよく聞くが、蕎麦では初めて。でも私は今度こそシンプルなざる蕎麦と決めていたから、釜上げはカミさんが試すことになった。
 待つこと10分ほどでざる蕎麦、つづいて釜上げ蕎麦がでてくる。新行の新蕎麦はいかなるものかと、まずは薬味を入れずにツルッと食す・・・うまい、美味いのである。確かに蕎麦の香りがほんのりと口に広がり、そばつゆも甘くなく辛くなく、絶妙な味。ちょっとここの蕎麦はほかと違う。なんだかやっと蕎麦の味が分かったような気分になれた。





新行“山品”の蕎麦
今日の蕎麦は10割ではなく、つなぎ約1対蕎麦粉約9と言われた。その日の気候によって10割ができたり、2対8であったりするそうだ。なかなか奥が深い。
ざる蕎麦650円:昼食としては一枚ではもの足りない。美味さも手伝い二枚は頂きたい。

釜上げ蕎麦750円:ゆでたそのままの温かい蕎麦につゆを付けて頂く。これまた美味い。




 美味い蕎麦には、1.穫りたて 2.挽きたて 3.打ちたて 4.ゆでたて という4つの「たて」の要素があるという。その4つの要素がそろうのが新蕎麦の時期なのだが、では新蕎麦でなければ美味くないのかといえば、そうでもないらしい。他の3つの要素がそろってさえいれば、私のようなシロウトには、きっと美味さを感じるはず。特に「挽きたて」が重要とのことだ。うどんの場合も似たようなところだが、讃岐うどんの美味さは「打ちたて」にあるのだろう。
 さて、信州蕎麦 対 讃岐うどん、どちらが美味いのかを私なりにお伝えしようと思ったのだが、讃岐うどんは定評ある店を10数軒行ったものの、信州はまだまだ美味い蕎麦を食した回数が足りず、今結論づけるのはちょっと不公平と考える。こう言ってしまうと、裏を反せば現時点で讃岐うどんの勝ちとなるがやむを得まいが。だってねえ、缶コーヒーより安い100円であの味は驚異的ですよ!(・・・値段で比較するもんじゃありませんがねえ)
 まあいずれにせよ、どちらが美味いかより、個人的にどちらが好みか、という結論にしかならないだろう。だから、そんな対決は、やはり邪道といえる。

山品から走ることたったの2分。まんじゅうでもなく、肉まんでもない、信州名産の“おやき”を頂く。蕎麦を食ったばかりなのに。

 ひとつ言い忘れたことがあった。信州育ちのカミさんなれど、実は蕎麦が好きではないのだ。別に蕎麦アレルギーというわけではないのだが、20年以上になる付き合いのなか、自分からすすんで蕎麦を食すことなど見たことない。そんなこと十分承知の上でこの蕎麦ツーリングに連れて来た。だがどうだろう、新行 山品の新蕎麦を食べて、初めて美味いと言った。きっと、アルプスの雄大な景色が脳裏に収まり、美味さを増幅させたのかもしれない。いつかまた蕎麦巡りの旅をしよう。真っ青な空のもと、東京に向かって走り出した。
 「信州信濃の蕎麦よりも・・・・・」



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