本場大島紬、いや一般的な織物には“手織り”と“機械織り”がある。手織りは人力で時間をかけ丹念に織り込む、まさしく手作業の織物。魅力的ではあるが、その高額なコストゆえに、弊社製品との融合は頭になかった。
2006年5月、私と四国のグローブ担当尾原との薩摩の旅で、最初に向かった先は、“本場大島紬織元 関絹織物”。
何の知識も無く軽い気持ちで。そこが手織りの名門とは、平家の陣地とは知らずに・・・。

2006年7月25日発信 写真:坂上修造と三橋



 鹿児島市の街中にある関絹織物を訪ね、その大番頭 関健二郎氏の初めのごあいさつが「わいたっ、ないしけ来たとぉ!」(おまえら、何しに来たんだ!)。
 いや正確には言ってないが、バリバリの敵対心、顔で、身体であきらかにそう表現していた。そして大島紬を売ってちょうだい!にも、「ほかにたくさん織り元があるでしょうが!」「ここを関絹織物と知って来られたか!」・・・とにかくプライドが高く、背が高く、幅も広い。氏が席を外したすきに同行の尾原なんぞは「やばいっスよ、負けっス、もう撤退しましょっ」なんて言う始末。
 「馬鹿やろ〜、源氏(の家来)の末えいの東京モンが、そう易々と引き下がれねえんだよっ」。後に氏が「私の先祖は平家の武士」と名のった時点で勝負あり。・・・ふぉっ、ふぉっ、ふぉっっ、歴史的にも平家は源氏に負ける。。。

 ・・・すったもんだの訪問記はツーリングサイト“薩摩”を読んでいただくとして、その翌月にもこの織り元に再訪問している。
 「よお〜 おさいじゃひたもしたぁ」(よく おいでになりましたぁ) ん? あのツッパリも敵対心もすでにない。な〜んだか寂しい気もするが、ケンカしに来たわけじゃないのだし、、、「平成の“平”は平家の平!」・・・なぁんだとぉっ!
関健二郎氏:関絹織物代表の次男
185cm、0.1トン強、“平成の西郷隆盛”といった体格は威圧感抜群である。
江戸時代の先祖は蘭学の先生。その教え子に西郷隆盛、大久保利通がいるという。そのまた先祖は、筆者の先祖(源氏)に追われた平家の落ち武者が奄美大島に移り住んだ。どちらもホントの話。

なお、健二郎氏を“大番頭”と言ったら不機嫌に。ではなんと呼べばよいのかと尋ねたら、「クリエイター!」であると。クリ エイ ター? ん? かっこつけすぎ屋久島の縄文杉。 


 そうそう偶然にも、初回に同行した四国グローブ担当:尾原も、源氏と平家には十分にかかわっている。彼の自宅は先祖代々高松市の“屋島”。
平家の挑発で那須与一が矢で扇を射落としたので有名な“源平 屋島の戦い”の地である。そしてまた、義経(よしつね)の身代わりで矢に討たれた佐藤継信(つぎのぶ)の墓のとなりが祖父母の家という濃さ。なおついでに言えば、尾原の奥さんは長州(下関市)の出身。なんとなんと、薩摩、長州、江戸に、源氏と平家がそろいぶみ。
 しかしぃ、、、尾原の先祖が源氏と平家、どちらに加勢していたかは定かでない。関絹織物宅で、関氏と筆者のどちらの言葉にもオドオドしていた尾原なのだから、きっとご先祖様も・・・?かな。でも言い換えれば「平和」な家系か。
 「平和の“平”は平家の平」・・・どぁれだ〜、そんなことぬかすのは!



 なんだか脱線もはなはだしく、長い前置きになってしまった。そろそろ本題に入ろうか。
 初めの訪問では健二郎氏との格闘時間が長く、絹織物、そしてそれを作っている行程の写真をまともには撮っていない。また、その時は代表である関順一郎氏(健二郎氏の親父殿)が留守でお会いできなかったので、再撮影を兼ねプロカメラマンである坂上のオッサンを連れてまた訪れた(今度は往復飛行機)。
 「ここより立入り禁止」の張り紙を横目に、一階の工房へ。前回同様、やはり目に飛び込んできたのは、美しく染色された淡く光り輝く絹の糸である。


薩摩の武士のごとく真剣なまなざしで作業しているのは、長男:関祐一郎氏。

 関絹織物の絹の糸は、ニッポンの蚕(カイコ)を使う・・・これをひと言で言ってしまうのは簡単だが、本場大島紬だけでなく日本の絹織物全体の比率でも、国産カイコ糸の使用は、いまや5%にも満たない。日本の養蚕(ようさん)業は衰退し、9割以上を中国やブラジルに頼っているのが現状。群馬県赤城から送られる関絹織物のカイコ糸は、高価だがモノが良い、、、そう、単純な理由で使うようだ。
 なお、一般的に織り元工房は織ることが仕事なのだが、ここ関絹織物では泥染め以外のほとんどの行程を自社で行う。


大島紬はタテ糸とヨコ糸の平織り。これはタテ糸を操作し、織り始める準備。根気のいる作業だ。


 一階の工房では、健二郎氏の親父殿と兄貴殿が作業をしている。まずはご挨拶をして写真を撮らせていただく。ご両人とも、まったく無駄口を言わず、もくもくと手を動かしている。恐れ多い気がして質問すらできない気配だ。
 「さすが薩摩男児、多くを語らず、結果が真実」
 と敬服するも、隣りにはよくしゃべる健二郎氏が機関銃のように作業説明を連発する。


 シャリン、シャン、バッタン とハタ織りをしている親父殿、今まさに織られている絹織物も美しいが、その着ている作務衣(サムエ)も気になった。軽く、しなやかで動きやすそう。そして淡い輝きがこれまた美しい。「あれは?」と健二郎氏に尋ねたら、自社のものだと言う。シロウトでも分かる綺麗な作務衣だ。
 健二郎氏も作務衣を着ていたが、親父殿とはちょっと違うのでそれを聞いたら、「私も兄貴のも自社製ではないのです、、、」 ・・・親父殿くらいの風格がなければ、自社といえど、そう簡単には着れないようだ。それほど関絹織物の大島紬は格調高い。

 5月、6月と二度にわたってハタ織りを間近で見るが、やはり童話“鶴の恩返し”が頭から離れない。織っている人が若い女性ならなおさら感動もんだが、「うちで織っている最年少の女性は60歳です」と言われるように、男女問わず、織物にたずさわっている者に高齢化が進む。大島紬だけのことではなく伝統工芸の維持はニッポンの悩みであろう。
関絹織物代表:関順一郎氏 
なげひ(左手の道具)で絹糸を左右に操り、ひと糸ひと糸を積み重ね、そして美しい絹織物が浮かび上がる。根気だけではない、色彩センスも持ち合わせる。


鹿児島から直線で1800km(陸路は3000km)の北海道 釧路の丹頂鶴
大島一浩カメラマンより画像拝借


泥染め、絣(かすり)を施した本場大島紬の代表的な柄。しかし、弊社ペアスロープとの融合は、このような伝統的技法にはこだわらない。ジャケットやその他小物にほど良くマッチした柄を選んでゆきたい。 ちなみに写真の反物は一反(きもの1着分)50万円以上。

本場大島紬織物協同組合(鹿児島市)の認定書には、ブルーとオレンジがある。一般的にタテヨコ絣(かすり)の入ったブルーの方が高価だとされるが、関絹織物の場合はそれが当てはまらない場合もある。


 撮影のあと、鹿児島市の繁華街 天文館で馬刺し、黒豚、芋焼酎の打ち上げ。
 健二郎氏と初めて会ったときには、1分間に10回以上の専門用語を連発され、訳分からぬまま撃沈された。しかし今はちがう。絹の糸を知るために養蚕農家に行き、鹿児島を知るために芋焼酎をたくさん呑んだ。絹織物についての数々の教養を身につけてきている。でも1分間に2〜3回は難しい専門用語を発する健二郎氏、、、ぜったい故意にちがいない。昔から恒例の平家の挑発行為はお見通しである。
 「今のニッポンは我々が作った」と憎まれ口もたたく。なに言ってやがる、生麦事件から薩英戦争と薩摩が勝手にイギリスと戦争し、犬猿関係の長州と突然仲良しになって、江戸を征服。そして明治維新となり近代日本を築く・・・なんだ、悔しいが間違っちゃいないか。
 それにしても健二郎氏みたいな骨太の人間は今やめずらしい。ついでにいつまでもツッパリ通した素晴らしい本場大島紬を末永く織り続けてほしい。いや、お願いをしたのだからお詫びもしよう。・・・「私の先祖の源氏が、平家を滅ぼしてしまってスマン。」
なぜ、おいドン、とか・・・ゴワス、って言わないのかと尋ねると、「そりゃあ鹿児島人を馬鹿にしちょる!」今どきそんな方言使わんと責められたタイ。(タイは熊本だ!とまた責められた)


どれだけ話しても絹織物に関してはまったく勝ち目が無く、悪戦苦闘の筆者。なにか穴がないのかと探してみたら、、、あった。(初回訪問の尾原が隠し撮り)
当日夜、尾原との会話:「尾原君、健二郎氏はツッパッてたけど金持ちじゃあないぞ、ジーンズに穴開いてたしな」 「何言ってはります?そういったスタイルですって、、、」


「手間を惜しんだら 良いものはできません」

 関絹織物の家訓である。この言葉は弊社夫婦坂工房にもそのまま当てはまり、敵ながら(平家)、あっぱれと言えよう。
 が、しかし、、、「良いものをより安く」が一般的な人々の理想論、我々工房のような手間と材料で勝負する仕事は、手間をかければかけるほど、良質な材料を選べば選ぶほどにコストは上昇する。今の日本の流通品とは相反するのである。
 ・・・そんなことは分かっちゃいるのだが、高いものが売りにくいことも十分に理解しているのだが、職人の性、って言うんでしょうかねえ、一般的な理想論に逆らってしまうのです。


夫婦坂工房向け手織り大島紬:糸の染色や数々の下準備のあと、12日間以上を要して一反が織り上がる。

関絹織物の手織り反物が鹿児島から弊社に届いた。今度は夫婦坂工房の出番である。
さてどんなものを作ろうか。和牛と組み合わせようか、いやいや馬革もよい。天然繊維どうしのコットンもまたよし、、、
アイデアは尽きないが、大問題もある。

  ・・・コストを考えないので、これ製品ではなく作品かな?

源平最後の合戦 “壇の浦の戦い”から821年後の今、
平成の世の源氏と平家(の家来)の末えいが和解し、
自慢の何かを作ろうとしている。
 “コスト”などというチンケな事を考えずに、、、。

  どうぞご期待ください。

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