童謡 “赤とんぼ”より
一般的なカイコは、あの白い虫が白い糸で白いマユを作り “家蚕”と呼ばれる。農家の屋内で人間が飼うから、その名がついた。絹織物には無くてならない虫である。
そしてカイコの食べ物の“桑の葉”、昭和40年代まではいたるところにあった桑畑も、現在ではあまり見られなくなった。1500年ほど前から末永くニッポンで育てられていたカイコは現在激減しているのだ。
しかし、今だひっそりと生きるカイコがいる。さてご案内しよう、ニッポンの、東京のおカイコさん、、、。


2006年8月5日 発信


 まず初めに話しておかなければならない。
 確かに、南国のインファント島に育成するモスラはカイコをモデルにしたのだろう。悪役で登場することなく、いつも人間の味方。そう、カイコという虫も人間の為に生きているのだ。しかし、カイコがモスラではない明らかな理由を、ご覧の少年達(少しはいるだろう)のためにちょっと説明しておこう。
1. 遠くインファント島から海を泳いで日本に来るモスラ
    ・・・でも、カイコは泳げない。

2. ゴジラのシッポに噛みつくモスラ
    ・・・カイコは噛みついたりしない。

3. モスラは奇声を発する
    ・・・カイコは鳴かない。

4. モスラは蝶(チョウ)のような鮮やかな成虫
    ・・・カイコは真っ白な蛾(ガ)。

5. ( これ、意外に知られてなかったりして、、、)
  成虫のモスラは空を飛び回る
    ・・・カイコの成虫は羽があるのに飛べない。

 以上、モスラとカイコ(家蚕)のちがいでした。


 さて、モスラとのちがいを分かっていただいたところで、ほんとうのカイコの姿をご案内しよう。
 ところは弊社からバイクで45分、同じ東京都である八王子市の農家。・・・正直言って、こんな近くで、都内でカイコが飼われているとは想像もつかなかった。

 6月2日、中央高速をぶっ飛ばし、カミさんと八王子市の養蚕(ようさん)農家である長田さん宅を訪ねる。本来は見学不可だが(仕事のじゃまになるしねえ)、ご主人のご配慮で許可を頂いた。目的のカイコは明治期に建てられた風格ある母屋の隣りで飼われている。
 飼育小屋に入ると、昔、親戚の農家で見た飼育方法とはちがっていた。20メートルほどの長い箱のような中にたくさんいる。いや、そんな優しい表現ではなく、ウジャウジャと白いカイコ虫がうごめいている。
 さっそく手に取ってみる。30年ぶりだろうか、この感触。肌がすべすべして妙に気持ちいい。しかし、、、信州育ちのカミさんは触ろうとはしない。カミさんの実家はサラリーマン家庭で、カイコにはあまり接していなかったのが理由だそうだが、単にイモ虫が嫌いなだけだろう。
弊社から45分で着いた長田さん宅。周りは桑畑や竹林の典型的な農村風景。でもまちがいなく東京都。

5代目ご主人とおバアちゃんが、裸電球の薄暗い小屋で飼育中。


飼育小屋には2万数千頭いるというから、それはもうどっさりとこんな感じ。シャワシャワと小雨が降っているような音をたてて桑の葉を食う。

 よくよく話を伺ってみると飼育は重労働だ。夜露の付いた葉が良く、早朝5時に桑の葉を刈り、カイコに与える。昼間も絶え間なく葉を与え続け、また夕方に桑の葉を刈りにゆく。ひと月半、毎日がその繰り返し。それを年に二回、飼育を行う。その間は家族旅行など、日帰りですらまったくできないだろう。
 飼育の見返りである収入を、恐る恐るおバアちゃんに聞いてみた。
 「とてもとてもサラリーマンの月給にはとどかないんだよぉ」 と。だから養蚕を続ける農家が激減したのだろうが、それ以上に、コストの安い、中国やブラジルからのカイコ糸の輸入が主な原因だろう。いまやニッポンのカイコの糸を使う絹織物は、日本の流通で5%にも満たない状況である。
 なんだか先行きの暗い話になってしまったが、ウエア業界にも同じことがいえる。弊社ペアスロープのような全製品“メイド イン ジャパン”を名のるメーカーもほとんどない。悲しいことに、ニッポン人がニッポンのモノを愛用できなくなる時代が来てしまうのか、、、いやいや、長田さん家族も頑張っている。ご主人に、周りの農家が養蚕をやめているなか、なぜ続けているのかを尋ねた、「意地ですかねえ、、、。」
 そう、弊社も“意地”を持ち続けたい。
 
東京都日野市出身の奥さん(左)、「ここに嫁に来るとき、農家だって聞いて果物や野菜作りだろうと思ったら、虫ですよぉ〜、イモ虫! あの人、ひと言も言わなかった!」
カイコに桑をあげながらダンナさん、「言ったら、来なかったんじゃないのぉ?」
なお、カイコに近づこうとしない、信州田舎育ちのカミさん。



のどかな農家の縁側でのひと時。おバアちゃんがじ〜っと見つめるは、ペアスロープのカタログ“超高速ウエアページ”。
バイクに乗ってなくても、分かる人にはちがいが分かる。

ダンナが納屋から何か持ってきた。

昭和23年の中学1年 科学の教科書。それにしても戦後すぐの時代を物語る、すごいタイトルだ。

カイコ飼育は生まれて10日ほどのものを農協から仕入れるが、このカイコのタマゴは個人趣味の人向けに用意している。※ただし、桑畑を持っているか、桑の葉が容易に手に入る人のみ。なかなかいないでしょうが。



蚕の飼育書、明治27年とある。100年以上前のものがいまだに健在。

長田宅、蚕の繭1000kg達成のトロフィー。昭和30年代?40年代?いや昭和50年代のものだそうだ。現在の生産はその10分の1。
なお、昭和30年代に全国で80万戸以上あった養蚕農家も現在は4000戸程度。東京都は十数戸といった状況。


桑畑を撮っていたら、いきなりカミさんが美味そうに桑の実を盗み食いした。信州での小学校帰り、おやつ代わりに食っていたそうだ。カイコ、触れないのに。。。


そして5日後 ・・・。


 6月7日、カイコが繭を作り出したと聞き、再び長田さん宅に向かう。我ながらしつこい性格なので、繭の姿を見なければ気がすまないのだ。
 繭を作り出す1万頭以上のカイコは、母屋の二階に移されていた。近づいてよ〜く観察すると、一生懸命に白く細く光り輝く糸を出し、繭を作っている。床を歩き出しているものも大勢いる。それを一匹一匹長田さんが拾い集め、繭棚に戻す。なかには脱走に成功し、天井に繭を作るツワモノもいる。
 何台もの石油ストーブがあるので聞いてみた。「25度くらいなら良いが、20度まで下がるとカイコは糸を出しにくくなる。そうなると暖房しなくてはねえ。逆に気温が上がると窓を開けて通気させる。でもねえ、スズメバチが入ってきて、肉団子にして盗んでっちゃうんだよねえ、、。」
 桑の葉を与える重労働から開放されても、その後の管理もこれまた大変だ。しかしこのような労力で、あの美しい絹織物が存在するのです。
やはり裸電球が基本のようです。

昭和36年、ずいぶんと古い温度計だなあ、と思うと同時に、温度計って45年以上も長持ちするんだ!と感心。




 カイコは2〜3日かけ、1000m以上の美しい糸を出し続け繭を完成させる。
 そしてその中でサナギとなり12日間で羽のある成虫となって繭から出る。
 しかし、何も食べることなく、飛ぶこともできず、目的は産卵のみ。成虫で生きるのは、ほんの5日間である。

 なんだか可哀想な人生を送るカイコだが、化学繊維の追従を許さない繊細な美しさを誇る絹の糸の主役、
 ニッポンのカイコの伝統は、まだまだ消えない。




次は、世にもきれいな糸を出す “天蚕”(てんさん)
ご案内した屋内で飼育される“家蚕”に対して、
“天蚕”は野外で飼われる極めて野性的なカイコ。
きっと、その名も、その姿を見るのも初めてという人がほとんどにちがいない。
日本原産の野生絹糸虫、どうぞご覧下さい。
 (8月10日発信予定)


長田さん宅の縁側。写真左は天蚕用のカゴ。その昔は飼っていたようだが、ご主人いわく「天蚕は恐ろしくてさわれない」のだそうだ。だがしかし・・・天蚕編へ。

協力:長田養蚕 http://www6.ocn.ne.jp/~yousan/

<< 絹の道メニューに戻る 天蚕編へ >>