第三話 2007年4月9日

朝晩は、ちと寒い大宇陀の朝。煙突からの煙は、朝食なのか風呂なのかは分からないが、懐かしいニッポンの朝の風景である。

 宇陀(うだ)市大宇陀区にある今阪屋旅館に宿泊。気配りの行き届いた、居心地の良い正統派の旅館である。ここ大宇陀区は、伊勢参宮の主要街道である伊勢本街道と、熊野方面へ向かう熊野街道を結ぶ松山城下の松山街道筋にある。いにしえの街道筋の雰囲気を色濃く残す街並みは、夜に通過しただけでもそこここに感じ取れる。
 前日は夜も深まった頃に到着し、都知事選挙速報などにうつつを抜かす。朝は早起きをして街並み散歩でもしたいと思っていたのだが、目覚めれば朝食時間。
 しかし坂上さんがいない。そういえば、朝も早くからガタガタとやっていたなぁと思いつつ、写真家なので写真を撮りに行ったんだろうと、お先にいただきまーす。
「さすが、ご隠居さんは早起きですねぇ」などと言いつつ、食後のお茶などをすすっていると、坂上さんがご帰還。「電話してよぉ」と鼻息荒く怒っていらっしゃる。さすがはご隠居、言うことが粋だ。昨日の夜に朝食時間を聞いていたじゃないですかぁ。でも、おかげさまで、心残りだった街並み散歩は、坂上写真館として十分に楽しませてもらいましたよ。
朝なのに覇気のない2人。西遊記ご一行のこの2人は、レザージャケットとバイクがないと、不抜けてしまうのだった……。



 この大宇陀区からひと山越えると菟田野(うたの)区。鹿革の出荷高が全国シェアの95%以上、毛皮は45%のシェアを誇る、日本毛皮革産業の集積地である。菟田野エリアに入ると、沿道には毛皮革工業団地の案内板をはじめ、皮革や毛皮関連業者の看板、剥製(はくせい)の製作所などが目立ち始めてくる。
 東京の浅草辺りでも高い頻度で皮革関連事業の店舗などを見つけることができるけれど、建物が密集した場所だから、それほど目立たない。けれど、ここ菟田野は住宅の密集度はそれほどでもないのに、何軒もあるから目立つ。もちろん、こちらがそれなりの予備知識と興味を持っているからではあるけれど、それぞれの店舗や作業場に、それぞれの皮革の技術や哲学があると思っただけで、ちょっとワクワクだ。
 この日の目的は、菟田野にて鹿革生産日本一の「藤岡勇吉本店」を訪ね、鹿革のお話をお伺いしつつ、作業場を見学させていただき、そのうえ、三橋さんが新しいジャケット用の鹿革とグローブ用の鹿革を発注するという内容だ。ひじょうに濃い、充実した行程であり、まことにお仕事的度合いが高い。まぁ、全部がお仕事ではあるんでございますがね。
 もちろん、三橋さんはこの時のためにあつらえた鹿革の新しいジャケットを出発前より着用。「はったりでぃ」という威勢の良いお言葉に呼応した石野は、「へぃ、がってん」と馬革ジャケットを着用する。いいのか馬で……といういささかの疑問はある。
藤岡勇吉本店の工場内にて、なぜかバイクを押す石野。何をやっていても格好良いねぇ、バイクとジャケットは。

東京夫婦坂を出発して、奈良県宇陀市の菟田野区までメーター読みで506.7km。近くはないけれど、遠くもない。遠いか!?


 挨拶もそこそこに、さっそく始まる藤岡社長と三橋さんの首脳会談。工場管理部主任の山本氏が加わり、鹿革の話題はもちろん、牛革から馬革まで多岐に渡る皮革文化が語られる。鹿革の強さ、しなやかさに隠された鞣(なめ)しの技術。日本における鹿革の位置づけと、普及の方向性……等々。
 詳しい鹿革の紹介は別ページ(石野担当“こだわりません 勝つまでは”)にて近々に展開するとして、ここでは「で、鹿革はどうなのよ」ということだけ伝えておこう(あっちと、こっちで重なっちゃ、引き出しの少なさがばれちゃうからね)。

 いやぁ〜、馬好きのくせにいうのもなんですが、これは良い!! 強度が革そのもので、柔軟性と肌触りは、まるで布のよう。
 ところで石野の馬ジャンも、唯一鹿革を使用した部分がある。それは直接肌に触れることの多い、袖の内側部分。そこに、鹿革の床面(裏側)を使用しているのだ。もちろん、ペアスロープの皆様のアイデアであって、石野が思いついたグッドアイデアではない。でも、最初に作られた1着である。ぐへへへへへ。
 この日に、藤岡社長が着ていらっしゃったのは、裏地無しの鹿革ジャケット。もう十数年も前に作ったとおっしゃっているが、それでも表面のヤレも型くずれも感じられない、しなやかなジャケットのままであった。恐るべし鹿革。
 様々な革にはそれぞれの特性があって、それは鞣しの方法や厚み、最終的な用途によって決まるのだけれど、本来の素材が持つ特徴を損なわないことこそが、最終的に商品の魅力も高めるんだろうね。

 三橋さんは、鹿革でのジャケット展開の前に、まずは直接肌に触れるグローブでの展開を考えていらっしゃるという。まずは、そこで鹿革のクリーミーな肌触りを体感してから、ジャケットへと目を向けさせようという作戦だ。さすが、江戸のあきんどでやんすねぇ。まぁ、細かいお話はまた後ほど。
 微妙なニュアンスだけれど、バイクに喩えれば、牛革は国産車で、鹿革や馬革は外車だと思っていただければいいかな。いきなり外車は買わないでしょう、大抵の場合。でも、国産に乗ってからなら、外車の良いところも分かるし、国産の魅力も分かってくる。だから、馬革や鹿革は、牛革を持っている人の2枚目の革としてオススメしたい……と締めておこう。
藤岡社長(左奥)と山本主任(右奥)に鹿革の話を伺う。話題は多岐に渡り、そのどれもが興味深い。その内容は、別展開で!!





製品にするジャケットに使用する鹿革を選別する三橋さん。製品の方向性を左右する作業ゆえに、普段の5万倍くらい真剣だ。







鹿革の試作ジャケット。画面では、しなやかさは分かりにくいけれど、表面の少し枯れた感じの重厚な風合いが魅力である。

石野馬鹿仕様:馬ジャケの馬鹿部分。袖内側に使用された鹿革の床面。直接肌に触れる部分ゆえに、布繊維にはない優しい肌触りが嬉しい。 三橋仕様(藤岡勇吉本店の鹿革):鹿ジャケの馬鹿部分。ポケットのマチを馬革に。よく使用する部分への気配り、というより洒落が強い。質感の違いが良い。

魚油でなめされた中国産の子鹿の革。剣道などの武具に使用される。魚油ならではのほのかな海の香りをクンクンしてみる。


 いやぁ、そんなこんなで、お邪魔にならないように、早々に引き上げましょうね、なんつっていたにも関わらず、結局夕方近くまで、工場見学をさせていただいた西遊記ご一行様である。しかも、来るときは意気込んで鹿ジャン、馬ジャンコンビだったのに「夕方は虫が付きますからぁ」「撮影用ですし」なんてことを言いつつ、着替えて出発するていたらく。
 伊勢方面から走ってくると、それほどは感じないけれど、実際には宇陀市周辺は、信州ほど深くはないけれど、まだまだ山間である。朝晩も冷えるし、奈良市や天理市などのある奈良盆地へと向かっていくと、ズイズイと標高が下がっていく。まわりには、段々畑をいくつも発見する。季節によっては、あれも棚田になるんだろうね。地方によっては、棚田百選とかいって、猫の額みたいな棚田をありがたがってしまうこともあるけれど、これだけあると逆にありがたみに欠けるのかもしれないなぁ、なんてことを考えつつ、明日香村方面に抜けて、石舞台公園辺りから綺麗な夕陽でも撮影しましょうということになった。
 ところがである。街中を避けて、近道をしたつもりが、行き止まりという憂き目にあってしまった。所は談山神社をかすめて走る県道155号線。三橋さんが持っている最新のツーリングマップルでは、ちゃ〜んと繋がっているけれど、目の前の道は繋がっていない。
 一応『この先通行止め』なる看板は立っていたけれど、完全封鎖じゃないし、こういう場合の半分近くは、行ってみると通れるものである。小狡いオヤジたちは、そう判断した。そして、幾つかのコーナーを過ぎて行った先で、泣きながらUターンするのであるのも、世の常である。

 こんな、面白そうなシチュエーションで、何故に写真がないかを言い訳しておこう。まず、写真記録班の坂上さんは、Uターンが容易ではないかも知れない場所に、ズコズコと入っては来ない。ゆえに、トイレに行っていたのである。三橋さんは、繋がっている地図と繋がっていない道を交互に目をやりつつ、逆上している。石野は、この辺でなんかやれることやって(撮影ですな)、テキトーにその場の雰囲気を良くしようと模索中。それぞれの思惑が入り乱れつつ、写真の1枚も撮ってないんですわ……。
 まあ、雲も分厚い感じで、夕陽も夕焼けも望めそうになりから、いいんじゃないすかぁ的な気分に満たされる談山神社である。でも、この談山神社もいいぞ。特に歴史に興味のない人には、なんのこっちゃってな神社であるけれど、日本を大きく揺るがした事件のきっかけとなった場所である。中臣鎌子(なかとみのかまこ=藤原鎌足)と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が、大化改新の談合を行なったことが、談山神社の名の由来あり、「645(ムシコ)ろす」なんつって、危ない語呂合わせで覚えた年表の場所であるのだ。
 高知の海に行くと「ニッポンの夜明けぜよぉ」などと叫んでしまう歴史的ミーハーな人は、ここでも「大化の改新やでぇ」と叫びたい。(「やでぇ」で良いのか? 間違っていたらスミマセン。田舎モンだと思って、軽く流して下さい)
 じっくりと見たいものだが、拝観時間も過ぎているので、ゆっくりもできず、修復中の重要文化財・十三重塔だけを遠巻きに見る。塔マニアの三橋さんは、もう一回来るらしい。
小さな山々が織りなす田舎風景のなかをゆるやかに下り、奈良盆地へと降りていく。もやっとした空気感が奈良っぽいでしょ。














談山神社でのエピソードは、左記の通りなので、写真がない。写真がないから、美しい桜でもご観賞下さい……。


 重い雲の様子に、すっかり諦めムードのご一行である。とりあえず、本日の宿泊地である天理市に向かう。ところが、どうだ。レインウエアを仕舞えば雨が降るように、カメラを仕舞えば、決定的瞬間が訪れるのは世の常よのう。心で「橋はオシマイ」と宣言したら、なんの変哲もない国道の向こうで、綺麗な夕陽が生駒山麓の向こうに落ちてゆく。

 ヤレヤレな気分を引きずりながら、辿り着いた天理のビジネス旅館。外観はとてもいい感じ。玄関のなかは民宿っぽい感じ。部屋のなかは、下宿……!? まあ、でも泊まってみれば、それはそれで、特別な感じで良いではないか。
 さっそく夕飯を取るべく、宿の主人にオススメガイドをしていただく。「やっぱり大和地鶏ですよ」というお言葉の通り、お店にたどり着くと『本日休業』である。おお、どこかで似たシチュエーションがあったぞ。
 頭のなかは鶏肉でいっぱいになっているご一行は、意地でも鶏肉を焼いて食べることに執着。ようやく見つけた焼鳥屋さんでは、『大和』という言葉は既に意味を持たなくなっていた。鶏肉、バンザイ!! それだけで良かった。
 しかも、である。普通は、これくらいのオヤジが揃うと、飲みに行ったあとで、ラーメンには行かないはずである。しかし、行くのだ。そこにラーメン屋がある限り……。
 宿の主人が、有名なラーメン屋もオススメしていたのだが、さすがに、それはない雰囲気が漂う焼鳥屋の終盤。ラーメンに行かないのなら、と後半に頼んだポテト2皿が終了すると、「おぅ、ラーメン行くぞぅ、おぅ」
 という勇ましい声。あれぇ、行くのぉ……。しかも、宿でオススメのラーメン屋は遠いことが判明したので、近いところで済ますというカロリー消費を抑えた展開。「こっちの方が美味しいわん」という、若い婦女子のささやきも効果てきめんで、メタボリックな夜は続く。
 屋台で食す天理ラーメン。ピリッと辛口のスタミナラーメンで、美味かったす。ちなみに、宿の主人オススメのラーメンも屋台らしい。天理は屋台ラーメンが流行っているのか。
どうよ。奈良のビジネス旅館。14インチのテレビに机と布団、風呂・トイレは共同で窓の外には線路……下宿みたいで悪くない居心地は朝食付4千数百円。


大和地鶏ではないけれど、鶏肉が食べられれば、それで幸せ。お腹いっぱいで、もう食えないっすよ。旅の夜は楽しいなぁ。



天理の少し寂しいアーケードを、酒と地鶏とラーメンとを頭のなかにごちゃまぜにしながらそぞろ歩く怪しげなオヤヂ達。

お腹いっぱいでもなぜか美味しい天理スタミナラーメン。ニンニクの効いたスープに、さらに天理スタミナニンニクを入れると、翌日はスタミナな芳香がメット内に漂う。なんだろ? 写真見てたら、また食べたくなった。


第四話は“吉野の桜”華やかに登場!
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