第四話 2007年4月10日


 今回の旅でも一番の好天が予報された旅の3日目の始まりである。前日の申し合わせ通りに7時45分に朝食を食べに1階へ降りる。案の定、誰も来ていない。その間に、宿のおばちゃんと世間話をする。
「天理は初めてですかぁ。驚いたでしょ」
 うわぁ、初球が直球ど真ん中だ。食べてるもんをサザエさんよろしく、ンガングゥと飲み込みそうになっちまったぜぃ。
「初めてですぅ。いや、あの、驚いたというか、少しは知識がありましたので……でも、治安なんかは良いんでしょう。みんないい人っぽいし……」
 しまった。当たり損ねのファールだ。なんてトンチンカンな返答なんだ。こんなことならNHKの『とっさのひと言』でも見て、勉強しておくんだった(意味不明の会話だと思った方は読み飛ばして下さい)。
 落ち込んでいるところへ、坂上さん登場。かなり遅れて、今日のご隠居さん登場。しきりに、坂上さんの部屋の方が良かったと嘆いている。そこからは線路が見えるのだが、三橋さんの部屋からは、道路しか見えない。三橋さんは“鉄ちゃん”でもあるのだった。


 下宿!?を出発して、国道24号線で吉野山に向かう。なにしろ、丸々1日を撮影に使えるうえに、天気も快調なのだから、桜満開の吉野山に向かわない理由がない。
 国道24号線は既存の路線の西側にバイパス(大和御所道路)がある。とりあえず、そっち方面に向かうけれど、目の前に高架橋は見えているのに入り口が分からない。道端でおじさんに訪ねて、やっとこさ入り口を確認して、バイパス進入成功。すみませんねぇ、田舎モンで。
 前々日は、国道25号線でびっくりしたけれど、このバイパスもびっくりである。周りは畑ばっかりなのに、やけに高い位置に高架橋がグワーンと延びており、当然のように結構なスピードでクルマが走っている。どうなっているんだ、奈良。新幹線にも高速道路にも見放され、コツコツと独自の交通網を築きあげているとしか思えん。なんか、宇宙船に取り残されたコンピュータが、勝手にプログラミングを繰り返して、進化しているみたいだ。そのうち、襲いかかるな。
 どこかでねずみ捕りがいるんじゃないだろうか。どこかに覆面レスラーがいるんじゃないだろうか。どこかに料金所があるんじゃないだろうか……という胸一杯の不安を抱えながら、やがて高架橋は終了して橿原バイパスとなる。それでも、十分に広い道幅と車線数の多さは変わらない。
 橿原からは古くからの国道169号線を走り、10時前には吉野山到着。思ったほどの混雑もなく、前途洋々である。
道もキレイで、桜も綺麗で、バイクもピカピカ、とまあ、絶好調の午前中なのです。




 桜の名所として知られる吉野山は、世界遺産でもある。もちろん桜の名所としてではなく“紀伊山地の霊場と参詣道”が世界遺産としての登録内容である。“吉野・大峰”“高野山”“熊野三山”の3つの霊場に修行の道が生まれ、修験道という日本独自の山岳信仰が生み出された。その文化が2004年に世界遺産(文化遺産)として登録されている。

 一度は歩いてみたい参詣道であるが、今回は桜がメインイベント。その昔、松尾芭蕉は吉野山に向かう道中で『よし野にて桜見せふぞ檜の木笠』と詠んだが、さしずめ我々は『よし野にて桜見せふぞ我が愛車』といったところである。
 大峰山脈の北側に位置する吉野山には山の斜面に桜が植林され、麓から下の千本、中の千本、上の千本という具合に、時期によって少しずつ高度を上げていく桜の格差社会である。なので、開花時期がピンポイントではなく、長く楽しめるという点で、とても優秀だと宣言しよう。何故に吉野は桜なのかといえば、これまた修験道との関わりが深い。修験道の祖である役行者(役小角)が創建した金峯山蔵王堂(国宝)の御本尊が桜の木で作られ、桜はご神木とされているのだ。

 吉野山なんだから、ソメイヨシノじゃないのか? という疑問もあろう。ソメイヨシノは、江戸時代にエドヒガンとオオシマザクラを交配させた雑種で、発祥の地は江戸の染井村。これは、現在の豊島区駒込の辺りで、駅前には染井吉野桜記念公園などもある。この、染井村の植木職人が、
「あの有名な吉野山の名前を付ければ売れるんじゃねえか、べらんめいっ」
 と吉野桜が生み出されたが、
「あんさん、吉野の桜とちゃうでぇ。ええかげんな名前つけんといてや」
 と注意されたので
「それらな染井吉野でどうでぃ、べらぼうめぃ」
 となったらしい。吉野山を彩る桜はシロヤマザクラが主である。ここでも、桜の格差社会問題勃発である。
下千本から中千本までの観光車道は、あまり混雑していない(平日の朝はね)。でも、桜もほとんど見えない。



緑色と薄紅色が山の斜面を染める。桜は見上げるよりも、見下ろす桜は美しいんだね。




役行者に大海皇子、源義経に後醍醐天皇と、それぞれの時代を生きて、翻弄される男達を魔性のような春の美しさで迎え入れた吉野山。そう思うと、沿道で食べる草餅も甘く切ない。



 開花期間の長い吉野山ではあるが人気も高いので、全国から桜マニアがどっちゃりと集まる。こんな場所の、とても美しい場所を見つけても、ジャケットとバイクと桜を交配させた撮影を悠長に行なうほどの空間的なゆとりはない。ましてや、あらゆる場面でその優秀さを見せつけてきた坂上さんのクルマが有利に働く場面などは皆無であった。
 そこで“バイク2台で1台は2ケツ作戦”である。ところが、観光の皆さんがすべて、徒歩や2ケツ作戦をするわけもなく、大勢の徒歩観光客に紛れて、クルマがブゥ〜ンと通り抜けるわけで、その後ろを走るバイクは、ヨタヨタと付いていくしかないという悲しい結論を思い知るのである。

 事前に坂上さんには「撮影にバッチグーな場所があったら、言って下さいね」と言っておいたけれど、「ケツが痛い」しか言わない。石野は前のクルマと人しか見てない……。

 一通り桜見物をした後に、結局は中千本の途中で撮影開始。すると静かな吉野山に異変が起こった。山中にけたたましく響くサイレンである。お昼でもないのに、響き渡るサイレンは、悪いことをしていなくてもビビッてしまうDNAを持っている石野は、道端でドキドキであり、モデルどころではなかった。果たして、下千本から上がってきたサイレンは、真っ赤な消防車であった。今度は、消防車を見ると煙も見えていないのにワクワクしてしまうDNAが騒ぎ出す。
 何台かの消防車が登っていくと、今度は原付スクーターに乗った消防団の青年が、なんだか楽しそうにコーナーを駆け抜けていく。彼らは、30分もしないうちに、楽しそうに山を下りていった。なんだか、春っぽい風景だ。
桜の山に、華やかさのまるでない2人。混雑回避作戦の開始だ。

妙に牧歌的なのは、カメラバッグが大きなピクニックケースに見えるから。

皆さん楽しそうでノリも良いから、こういう場所で写真を頼まれるのは嬉しい。

駆け上がる消防車に一時騒然となるも、やがて静かな春の山に戻って良かったス。







 無事に撮影を終了して、さて山を下りましょうという時にトラブル発生。桜満開の吉野山では、上千本の細道が二輪車を除き一方通行とされていた。ところが、クルマを停めた駐車場は、一方通行に200mほど入った位置である。しかし、二輪車は一方通行ではない。素晴らしいぞ吉野山。二輪車バンザーイ!! と笑う横で、坂上さんが何やら不満顔。そりゃそうだ。あの、観光客でごったがえす上千本のなかを、トロトロと回ってこなければ下山できないのだ。もちろん“先に行って、どこかで待ってますよ”作戦の開始である。西遊記ご一行様は、けっこうクールなのであった。
 吉野山の麓を流れる吉野川沿いの国道169号線は桜見物に向かうクルマでド渋滞。ぐわっはっはっ、バイクの機動性バイザーイと叫びたいところだが、方向が逆なだけである。しかも、その渋滞のもっとも先の辺りに坂上さんが居る。合流できるのは明日じゃねえか……。

 明日香村の飛鳥駅前で坂上さんと合流。観光地のわりに、意外と飯処が少ないので、ひとまず駅前のうどん屋さんで昼食を取ったので、飛鳥路の旅を続けよう。
 まずは稲淵の棚田である。前日には、棚田なんてどこにでもあるじゃん、と思っていた舌の根も乾かぬうちに棚田探しに奔走する。いや、石舞台古墳へ行くついでなんですわ。
 道の駅でいただいた地図が分かりにくいので、かなり手こずってようやく発見した棚田は、菜の花が咲き誇る春の風景。あからさまに、坂上さんが困っていらっしゃる。オヤヂどもが並んで写真に収まるには、かなり不似合いではあるが、男奈良の西遊記ご一行様であるがゆえに、菜の花と男風景をむりやり納める。何の興味もないように、地元の中学生や郵便屋さんが通り過ぎるうららかな飛鳥の午後であった。

 稲淵の棚田から石舞台へ向かう。地図には途中に『マラ石』という名前も記されている。なにやら男奈良な雰囲気に溢れる名前である。寄らぬわけには行くまい。
「先に行ってマラ石を探しておきまさぁ!!」
 と、急に元気になる石野であった。もう、どんな石なのかはおおよその想像がつく。しかし、大きさは分からない。明日香村には様々な古代の石造が見つかっているが、大抵はかなりの大きさだ。ならば、これも「どひゃぁ大きいぜ、古代人!!」というセリフを発したい気持ちで一杯だったのだ。
 後から、三橋さんと坂上さんが到着。
「思ったほど大きくはないけれど、僕よりは大きいです…」
 とっとと石舞台古墳へ向かい、軽く撮影をして、斑鳩・法隆寺方面へと向かうのであった。
さくらぁ、おいちゃんたちは、まだ旅を続けなきゃならないんだぁ。達者でなぁ。



山を下れば桜見物渋滞ができていた。いや〜あぶねぇ。早起き早出で良かったぜ。




即席な看板なのに、やけにマニアックな描写は道の駅吉野路大淀の駐車場。






桜のつぎは菜の花が華やかさの足りないオヤヂ達を取り囲む。春ですなぁ。

マラ石は、その向こうに対するフグリ山を向いている。マラやフグリを知らない人は調べてみてね!!(詳しく説明したいけどできない) ちなみに、向こうに意図的に写っているのは馬鹿コンビではない。


やっぱり男なら、石舞台だろうってな感じの、オヤヂ達。楽しいんだか、怒ってるんだか……。

石舞台古墳の天井石は推定重さ77トン。どうやって組んだのか、それが知りたい。



 日本最古の五重塔がある法隆寺。うまいこと夕焼けが出れば、夕焼け空と五重塔とバイクと馬顔という、ちょっとスカした写真を撮れるかも知れない……そんな期待を内に秘めつつ、石舞台を出発したのが午後5時くらい。もう、タイムリミットぎりぎりである。あの高速道路のようなバイパスの存在を知らなければ、とっくに諦めて他に近い場所を探している時間なのだ。それでも、三橋さんは塔マニアなので譲れなかった。そして、正しかった。
 太陽が沈みますよぉ、と宣言するような夕暮れではなく、何だかよく分からないうちに暗くなってきちゃった的な夕暮れだった。もう、だめなんじゃね……と思いつつ三橋さんの後ろを走っていくと、法隆寺を目前にして右折するではないか。あれぇと思っていると、辿り着いたのは法起寺。
「こっちのほうがバイクを絡めた写真を撮りやすいと思ってよぉ。こちとら、そんじょそこらの塔好きとは違うんでい」
 さすが、洗足池で産湯に浸かり、池上本門寺の五重塔に凧糸を引っかけて育った生粋の塔マニアだけのことはある。
 田園のなかに、慎ましく建っている三重塔がポイントで、。「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されており、三重塔はさりげなく国宝だ。
 でも肝心の夕焼けは……。地元のおじさんが、カメラ道具を自転車に括り付けてやってきた。「今日は出そうかなと思ってね」とは、おっしゃるけれど気配なし。おじさんが撮った夕焼けと塔の写真を見せていただく。なかなか綺麗なんすけれど、日付が1月ぢゃん。そんなに珍しいのかい!! それよりも、1月の写真をデジカメに残して持ち歩くおじさんって、ちょっとキュートだな……。
 空はぜんぜん焼けない、けれど我々には、沙悟浄こと、ストロボの妖術使いこと坂上さんがいるじゃないか。ということで、あぜ道にて撮影開始。ここは人通りが少なくて、スカした写真のモデルやっていても恥ずかしくない。
 ここの主役は馬革と三重塔だが、暗くなるとゼファーの火の玉タンクが一番目立つ。カワサキ・バンザーイである。
 そんなこんなで、無事に撮影を済ませて向かうは、奈良健康ランド。なんつっても健康第一っすからね。














法起寺とゼファー。ベタ過ぎて恥ずかしいくらいだけど、決まってるべ。

ベタな構図に馬ジャンを加えて、モデルは馬面。どうよ、カッコイイでしょ、モデル以外は。
(しかしなんですな、どう見てもカワサキのコマーシャル写真としか思えないですな、、、「ニッポンのゼファー」 なんつって。)

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