2007年5月20日 午後

 小満祭(こまんさい)とは、佐久市臼田で毎年5月第3日曜日に行われる稲荷神社の祭りである。特にそれを目的としてこの日を選んだわけではなく、偶然に訪れた。せっかくだから、散歩がてらに見物してみようか。


 この祭りも、きっと武田信玄に関係があるのだろうという勘ぐりは外れたようだ。そもそも信玄は甲州の武将で、信州を攻め入ってきた敵。この佐久地方にも小さな城が点々とあったが、ことごとく信玄に打ち破られた。上杉謙信が加勢してくれなければ、いとも簡単に信州全域が武田信玄の領地となっていたのである。
 ということで小満祭は五穀豊饒、商売繁昌を祈願する祭り。その出しものは、キツネの嫁入り道中、各種楽団パレード、 ステージショー、小満太鼓と数あるが “北越出兵行列”なるものもある。なんだこれはと調べてみれば、信玄と兼信の“川中島の戦い”からおよそ300年後、薩摩・長州藩の新政府軍の命により、信州の兵は幕府軍越後の長岡藩に出陣した。 ・・・越後の上杉謙信に加勢してもらい、大事な「塩」を送ってもらった信州だが、長い年月が過ぎたとはいえ、その越後を攻めに行くとは、心中複雑な思いがあったろう。

この言葉をよく耳にする。心温まるいい言葉なのだが、その語源を知る人は少ないかもしれない。そんなあなたにお伝えしよう。

武田信玄は駿河国(現静岡県)の今川氏とのいざこざで塩の流通を断たれた。信州・甲州は塩が取れず領民は苦しんだ。
それを知った上杉謙信、何度も合戦をした敵対する間柄ではあったが、その苦しみを見過ごすことはできず、“義”を重んじる兼信は越後から信州に塩を送り、武田信玄と領民を助けた。

以来、敵対関係でも相手が苦しいときに助けることを「敵に塩を送る」と言われるようになった。上杉謙信、アッパレ!ですな。

なお、武田信玄が没する直前、息子に遺言を残したそうだ。「上杉兼信を頼れ」と。敵ながら、よほど尊敬していたのであろう。



 悲劇的な歴史のことなど知ってか知らずか、この小さな街にはとんでもない数の人々が集まっている。普段は閑散とした静かな街だから、カミさんも、カミさんの弟夫婦(あさま工房の職人)も、そして俺もビックリ。
 さて、祭りといえば屋台である。ガキの頃から現在でも、これがいちばんの楽しみなのだ。。。

“あんず飴”は屋台の定番。数年前はゲンゴロウ(水中昆虫)に泳がせて本数を決めた妙な屋台があったのだが。

この日の気温は20度前後。かけ放題と言われても、ちょっとカキ氷は遠慮したい。

ハムスターにモルモット、小鳥やウサギをクジで当てる、ちょっと変わった屋台。昔はブルーやピンクの珍しいヒヨコ売りがあったが。。。(着色ヒヨコ:まんまとだまされた筆者)

この坊やは、きっと勉強の数万倍の集中力でカタヌキに挑戦しているのだろう。俺もそうだった。。。


国籍不明の食い物屋台が多くなったのも、時代の流れであろうか。

これ通称“みどり亀”。小さなうちはキレイでカワイイが、大きくなると凶暴なアメリカ産。

世界各国から集められたクワガタをクジで当てる。この地域、山に入れば天然のクワガタ・カブトムシが捕れるのだが。。。

これがこの祭りの主役、稲荷神社に上がる階段である。しかし登ってゆく者ほとんど無し。大多数は屋台のある通りへ。

 100軒ほどの屋台を物色するが、買ったのはタコ焼のみ。あまりにもスタンダードだ。
 しかしナンですなあ、最近のタコ焼ってのはタコが大きい。昔なんかねえ、タコが入ってないタコ焼が一皿6個のうち2〜3個あって、屋台のオヤジに文句言うと「入ってなくてもタコの味するんでぃ〜坊主っ!」なんて返されたものだ。
 そんなことを思いながら歩いていると、太鼓の音が聞こえ、“キツネの嫁入り”なるものが始まる。

青年団とは言いながら、オッサンばかりの、キツネなんだかタヌキなんだか見わけがつきにくいお姿で・・・、でも楽しそうに演じている。


鈴が鳴ってもおもしろい年頃だろうか。缶ビールぐい飲みも勇ましい。だが、もっとお若いお嬢さんや坊やは冷めた感じ。こんなカッコしてないで、はやく屋台で買い物したいのだろう。。。


 祭りっていいよねえ。大人も子供も楽しいところなのだから。
 俺のガキ時代(1960年代の東京大田区)、地元の祭りがあると親戚が集まってきて、臨時収入が得られる。当時500円もあれば大金持ちで、何軒もの屋台をハシゴして一日中楽しめたものだ。でも現在は諸物価上昇により屋台一回の買い物は300〜500円が相場。今のガキども、3000円くらいは持ってこないと楽しめないんだろうなあ。
保育園児の両親の似顔絵、ほほ笑ましい。

ん? 街を歩いてると古〜いカワサキの看板。同じカワサキ乗りのカミさんは親近感あり。。。


明日はニケツで東京へ帰ろう。
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