ダチのダイスケがやって来た。



 ダイスケは大学2年生で俺の息子より若いが、仕事仲間でもなく、遊びだけの付き合いなので、ダチ、としておこう。
 それにしても学生のぶんざいでBMW、それも最新型のK1200Sっちゅうのはなんなんだ。我ら家族の3台、ゼファー・W650・GSFを全部足した値段と同じじゃないか。
 「オヤヂから借りてきちゃいましたぁ・・・」 まあそうだろう。貧乏学生に買えるわけがない。でも、ヘルメットやブーツまで借りなくてもなあ、そのくらい自分で買ってもいいのでは。
 早朝に東京を出たダイスケだが、ド渋滞の高速道にハマったという。これも学生のぶんざいで高速かぁ。しかもその途中で国家に7千円ほど約束手形を払っている。ずいぶんと気前のいいヤツだ。

 なお、ダイスケは新潟県人。甲子園出場の新潟 明訓高校の卒業だと言う。テレビでは今まさに戦いの真っ最中なのだ。

山梨県 対 新潟県、これも運命の戦いか。四百数十年の時を経て、甲州 武田信玄 と 越後 上杉謙信の再戦のようだ。


新潟 明訓の応援旗は“毘”(び)。越後 上杉謙信の戦いの軍旗なのだ。一方の甲府商業は“風林火山”の旗がなびいている。これは面白い試合になりそうだ。
ちなみに俺は上杉謙信の方、いや明訓高校を応援する。ダイスケがいるからではなく、その昔、兼信は信州に塩を送ってくれたから。(“敵に塩を送る”:2007年5月の旅紀行で述べたので説明パス)


 有名な話だが、新潟 明訓は、水島新司の漫画“ドカベン”のモデル校だ。柔道部出身の山田太郎、小さなピッチャー里中、葉っぱの岩城、、、ピアニストの二塁手 殿馬ってのもいたなあ。
 
 さてダイスケ、俺達も勝負しようじゃねえか。
 腕相撲は秒殺、サーキットもまだ俺様の敵ではない。今回、彼が信州 佐久に来たのは、“魚獲り”の真剣勝負をするため。さしずめ、上杉謙信 対 源 頼朝(俺の先祖の親方様)といったところか。・・・時代はズレてるけど、平家vs源氏ともいえる。
 「ハヤなんか獲るっスかぁ?」 なんか、とは何だ。本来はイワナやヤマメといきたいところだが、本格的な釣道具がない。テキトウな道具ならあるが、そんなんで釣れるような魚ではない。かといってハヤを釣るのもめんどくさいから、ここは仕掛け網作戦で勝負。




「おぉ〜、いっぱい獲れてるぅ!」 仕掛け網にエサを入れて待つこと10分、一度に10数匹は獲れる。 「俺の勝っスね!」悠然と引き揚げるダイスケ。だが、仕掛けるポイントを武士の情けで教えてやったから。



 勝負はちょっと俺の負け。魚獲りくらいは負けてやらないと大人気ないからねえ。
 獲ったハヤは40数匹。人差し指ほどのサイズは丸ごとから揚げにしてビールのつまみに、、、といきたいところだが、お盆は殺生を禁ず。川に帰してあげる。

 そうそう、東京からひと組の子連れ家族が来ていたのだ。昨年の夏休みにもここ佐久で遊んだ、マウスファミリーである。子供らは来るなりトンボを追っかけまわしている。そして今年の夏は憧れのオニヤンマ、ギンヤンマを捕ってほしいとせがむが、さすがの俺も、そんなチンケな網では無理がある。


甲州 対 越後、8回裏で1対1の同点だ。応援団にも熱が入るが、熱中症に気をつけよう。



トンボにセミ捕り、夏の子供達の定番遊び・・・であったのは遠い昔か。近ごろ、子供達のこんな姿を見られなくなった。





 標高700mほどの信州 佐久。東京から来ると、なんと涼しいところだろうと感じるが、この数年の夏、特に今年は暑い。
 以前の夏の気温は30度ほどのものだった。しかしその標高でも最近は35度に近づく。夏の高原野菜やキュウリまでもこの夏は収穫がおもわしくないと聞く。やはり地球温暖化の影響なのか。 とは言っても、エアコンのある家庭はほとんどなく、夜は窓を閉め切ってフトン掛けて寝るほどここは涼しいのだが、それもいったいいつまでつづくのか。

9回でも決着つかず延長戦。信玄と兼信の“川中島の戦い”では引き分けたが、ここは甲子園、そうもゆかないだろう。






Tシャツで走る我ら夫婦。いくら川遊びといっても、ウエアメーカーとして失態。しかも半ズボン、サンダルの俺は最低・・・これは悪い例として次女が写す。良い例だけでは宣伝になってしまうからね。(言い訳か)




 佐久の山に流れる川の水は冷たい。しかも上流に集落のない川は澄んでいる。
 ダイスケの実家のある新潟市に流れる信濃川は、この川が千曲川と合流したはるか先である。
 「おい、ダイスケ! 信濃川が日本一長いって教わったろぅ。でもな、新潟が言う信濃川は153km、同じ川だが長野県では千曲川、その距離214km。信濃川は千曲川の子分みたいなもんよっ」
 

高校野球名物ヘッドスライディング、余裕のアウトだ。それでもするのが甲子園のお約束か。

試合終了間近、負けてるチームのほうだな。



 川遊びを満喫したあとは、夜遊びの準備に入る。都会には少ない巨大なスーパーでバーベキューの食材を買い、そしてなくてはならない夏の恒例、花火屋に向かう。



夏だけの出店、今年も花火屋営業中!やはりザルにたっぷり大人買い。 「これスゲ〜」 新潟青年も感激の花火が、ところ狭しと置いてある。




 “手に持つな、危険!” や “危ない!” な〜んて大きく書いてある花火はすかさずゲットする。しかしよくよく考えてみると、その言葉がセールスポイントであり、まんまとワナにはまった俺達である。

試合終了。延長まで戦い抜き、越後勢が甲州勢に勝利した。


これも高校野球名物、甲子園の土を持ち帰る球児たち。ず〜と昔から、この姿は変わらない。


そういえば、当HPにちょくちょく登場の松下(左から2番目)も甲子園出場の球児であった。同じくHP・カタログ登場の修一君(右端)はよりレベルの高い球児でプロ野球からも声がかかっていたという。一方、俺(左端)といったら、16歳からバイクひと筋。人生いろいろ、、、。



甲斐の“虎”と越後の“龍”、武田信玄と上杉謙信の装いで花火を楽しむ夏の夜。




信州 佐久の川原でたたずむ2台の川崎。やはり“川”は面白い。

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