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第一話 2007年8月24日 |
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2007年の今年は、甲州、信州をずいぶんと走り回った。そしてどこそこにと武田信玄の軍旗がたなびいている。それはNHK大河ドラマ“風林火山”の影響にほかならない。
私とてその大河ドラマに少なからず踊らされていたわけで、ちゃっかりと信玄の隠し湯に浸かったし、今年の旅サイトには、どれだけ“武田信玄”を記述していたことか。
しかし、以前にもお話ししたように私は信玄ファンではない。強引にでも他国の領地を奪う戦略に賛同できないからだ。まあ、戦国時代は国盗り合戦が武将の仕事のようなものだから、いちがいにその行為を否定するものではないが。
そんなさ中の時代、甲斐の武田信玄と長きに渡って戦った武将に越後の上杉謙信がいる。彼は戦国の世にあって、国盗り合戦を好まんとする数少ない武将、そして“義”を重んじるその姿に、私は尊敬の念を覚える。
さてそんなヒーロー 上杉謙信の残像を知るべく、カミさんと二人、越後(新潟県)上越市に向かった。
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浅間山を正面に上信越道 佐久平付近を通過 |
さあ、困った。前置きでカッコつけたものの、上杉謙信と武田信玄を語るには戦国時代の歴史も知らなければならない。あいにく小生、中学、高校の日本史の授業は寝る時間。中間、期末試験も一夜漬け。よってちっとも覚えていない。
しかしそんな私でもバイクで行く歴史の旅となれば、違うんですよっ、少しでも歴史を知って行くかそうでないかは、面白みがぜんぜん違うんですよっお客さん!(久しぶりのフレーズ)
と言うことで、予習をして出発、復習して再度勉強の上、当サイトを送信しております。
但し、これを読んでいる学生さん(たぶんそんな若い読者はいないだろうが)、悪いけど学校のテストに出るような歴史の勉強にはならないね。ウソか誠か定かでないエピソード中心だし、謙信と信玄にまつわる温泉や食い物等々、教科書とは無縁の話だから。でも知って損になることはなく、何かの役に立つかもしれないので、しばらくのお付き合いを。
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ニッポンの歴史旅にはニッポンのカワサキ、W650。
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真田(さなだ)の里、上田市周辺を快走中。真田幸村(ゆきむら)は有名だが、今回、後に登場するのはその爺さんのほう。
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もう1台は荷物の関係上すく〜たぁ〜のフォルツァ、に近寄る自衛隊員。戦国の二輪旅、いっしょに行けば、さしずめ“戦国自衛隊”か。
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バイクを乗り換えながら走れば、尻も痛くなりにくい。もうすでに信州(長野県)から越後の国(新潟県)に入った。 |
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スクーターでの長距離はめったにないことだ。ワインディングがつまらないし高速走行も低レベルだしね。でも今回連れて来たのは荷物収納の為。現地に着いたら、うろうろ歩き廻ることになるだろう。その場合、ヘルメットやその他荷物をスクーターの中に収納させて駐輪。そうすればよけいな物を持ち歩かなくてもすむからだ。
東京大田区から310km、およそ4時間で上越市に到着。平均速度は80km/h弱と低いが、都内の一般道や休憩給油を含めての速度、だから高速道路内ではフォルツァ全開!が分かろうか。もちろん白黒ツートンカーや覆面なんちゃらに気をつけて。
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さて2台のバイク、上越市は春日山城の城下にやって来た。そこは、今まさに“謙信公祭”の真っ最中。そうとあれば祭りの広場にでも行ってみようか。昼飯がてらに何か食い物にありつけるだろうから。
[謙信公祭]・・・郷土の英雄、上杉謙信をたたえた祭りである。
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謙信の軍旗「毘」(び)と「龍」(りゅう)が揚がり、祭り広場は戦国ムード。でも人はまばらで寂しい。 |
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なにやらいろんなモノが売られている。
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食い物にはなんでも謙信、謙信、謙信・・・
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謙信の領地だけのことはある。「毘」のさつまあげ。 |
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勝ったら米10kg、むすび早食い競走:腹減ったカミさんは「出る!」と言ったが、10kgの米をバイクに積めるか。(勝った気になっている)
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我々の昼飯は“越後の虎:陣中にぎりめし”と“義の塩むすび”。なぜ「義の塩」なのかは謙信の「敵に塩を送る」から始まる。 |
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ぎっしり詰まったむすびはたっぷりドンブリ2杯分。「こっから減らねえぞぉ〜」 気合いを入れた鉢巻兄さんも戦意消失ぎみ。
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さきほど買った「毘」さつまあげ。こういったウケ狙いの食い物の味は?が通例だが、これ、意外にも旨い。 |
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上杉謙信を追いかけると、かならず出てくる“毘”(び)と“龍”(りゅう)の旗。このことは当旅サイト2006年5月 “米沢” で述べているが、もういちど軽くおさらいしておこうか。
■毘と龍は上杉軍の軍旗である。
“毘”・・・謙信が信仰する毘沙門天(びしゃもんてん)の毘。
“龍”・・・攻撃時の際に揚げられる。
「上杉軍は分かった、武田軍はどうなのよっ」って声も聞こえてくるのでついでに、いや、公平に説明しよう。
■“風林火山”・・・武田軍の軍旗である。
それは、以下の言葉のいちばん後の字を並べたもの。そしてその言葉は中国の古い書物「孫子(そんし)」から引用。
“其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山”
疾(はや)きこと風のごとく、徐(しず)かなること林のごとく、侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく。
・・・簡単に言ってしまえば、「戦いは臨機応変に行動しなさい」ってところだろうか。
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祭りの広場でゲットした毘キャップ、そして“越後の虎:陣中にぎりめし”にもミニボトルで入っていた、ご当地名産“かんずり”。もうかれこれ10年、我が家には欠かせない辛味調味料だが、よくよく見ると“毘”の文字と、その下には“上杉謙信”の名が。
“かんずり” は唐辛子を雪にさらして、辛味が柔らかくなったものをすりつぶし、麹と塩、ユズなどを加えて熟成させて作られる。激辛ではない。 主に筆者は肉類につけて食う。たいして旨くない焼き鳥でも旨くなる。また生カキ、ホヤ、ナマコ酢などにも絶品。なお、これを友人らに紹介すると、だれもが“か”と“せ”を置き換える。よけいな話だが。 |
謙信公祭は上越市自慢の祭りと聞いていたが、お祭り広場も、街中も人波は少なく、なんだか寂しい。上杉謙信もさぞ嘆いているものと察する。
さて、旨いおにぎりも食ったし、謙信の城、春日山にでも足を運ぼうか。
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お祭り広場から春日山城跡へは、バイクで5分程度の距離だが、そこに通ずる道は本日一般車両通行止め。畑の脇にバイクを置いて、シャトルバスに乗る。やはりこの道も人影まばらである。
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おっ、自衛隊“高田駐屯地行事支援部隊”のトラックが次々に春日山から下りて来る。こらゃあ、何かありそうだ。 |
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