第四話 2007年8月24〜25日

 ちょうどひと月前、山梨県川浦温泉の“信玄の隠し湯”に浸かった。信玄の家臣、あの山県昌景(やまがたまさかげ)の子孫が営んでいる温泉だ。その時、「謙信の隠し湯だってあるだろう」と思って調べ上げたのが新潟県妙高高原の関温泉と燕温泉である。だから春日山の謙信公祭はついでに寄るオマケのつもりだった。そのオマケがあんな騒がしいことになっちゃって、、、“謙信の隠し湯”が当サイトのタイトル予定だったのに、“謙信、動く”に変わっちゃって。。。


 赤い湯の関温泉か、乳白色の燕温泉か迷ったが、より高地にある燕温泉を選んだ。理由は赤か白ではなく、クソ暑いので、標高の高いほうが涼しいだろうと思ったから。も、あるが、私がヤクルト(スワローズ)ファンであることも原因だ。で、なぜヤクルトファンなのかは、その元の球団が国鉄スワローズであったから。私は大の国鉄(鉄道)ファン、その昔、東海道本線を走っていた“特急 つばめ”は花形列車で、、、やめとこう、長くなるから。(現在でも九州新幹線の列車名で走ってます)
 ・・・宿選びも奥が深いのである。

 出陣行列の春日山の街から45分ほどで燕温泉 ホテル花文に着く。すでに6時を過ぎていたために温泉より夕食が先。山の中のメシに期待をしていなかったが、この宿は味付けがいいのだろうか、なかなか美味しくいただける。
 さて、温泉に浸かろう。謙信の隠し湯はいかなるものか。




暗い夜の撮影は無理があったので、翌朝写す。これは男湯。女湯のほうは新館にあり、豪華にも露天風呂付。でも料金は同じ。。。



 山梨県の“信玄の隠し湯”の信ぴょう性は高い。ではここ燕温泉の“謙信の隠し湯”はどうなのよってことになると、そう伝えられているとのことで、はっきりとは言えない。でも疑うよりかは「きっとそうなんだろうな」と思って湯に浸かるほうが気分的に都合がいい。

 湯は熱い。42.5度の源泉は私には熱く、5分と浸かってないが、風呂から上がった時には、平成の上杉謙信になっていた。(ような気がした)




翌朝の散歩。燕温泉は、その坂道に数軒の旅館が軒を連ねる。

宿からゆっくりと10分ほど歩くと、無料の露天風呂“黄金(こがね)の湯”がある。


銀トカゲに金トカゲ(正式名は分からない)がお出迎え。私の少年時代は、東京でもたくさんいて、よく捕まえたものだ。すぐシッポが切れるヤツらでね。


謙信公が入ったとされる、水色がかった乳白色の黄金の湯。




黄金の湯から3分ほど歩くと、渓谷の向こう側に惣滝が。肉眼では10cmにしか見えないが、落差80m。



 燕温泉の名の由来は、謙信が燕を斬った、というのではなく(佐々木小次郎の燕返しが頭に浮かんだ)、ここには岩ツバメがたくさん飛来するから。確かに宿の軒下には多くの岩ツバメが子育てをしている。
 露天風呂は黄金の湯だけでなく、川原の湯(混浴)もあるが、今日は日曜日、きっと観光客が多いだろうから立ち寄らず、燕温泉をあとにする。
 こじんまりとした小さな温泉だが、大きく癒される。ぜったい、謙信公が浸かっていたな、・・・と信じるね、ここは。




標高1150mの燕温泉は山の斜面をへばりつく小さな温泉街。


国道18号へと通ずる道は急勾配の連続。こういった下り坂はスクーターの苦手とするところだが、7段手動変速モードに切り換えのフォルツァは、エンブレを利かせながら快調に走る。


燕温泉から5分ほどで、鉄分を多く含んだ“赤い湯”の関温泉を通過。ここの湯も浸かってみたかったのだが。




標高を下げるごとに気温は上昇するが、2008年春夏用試作品“麻のジャケット”を着るカミさんは、軽快に走る。これ、いい!




 春日山で謙信を拝見し、謙信の隠し湯に浸かった。夫婦坂二輪旅“謙信動く” いかがだったでしょうか・・・。本来ならこれでおしまいのところだ。
 しかし、、、妙高高原から東京まで一直線の上信越自動車道に入らず、並行する国道18号を長野方面に走るのである。長野市を通過中、“川中島古戦場”の標識を目にするのである。
 武田信玄と上杉謙信の合戦場、「ちょっと寄ってみるかな。」 これがまた戦国史のドツボにハマるのである。ページ作りは、春日山の出陣行列で懲りたハズなのにな。

 ・・・でもね、情け容赦ないと言われた戦国武将たちの、あんな顔やこんな顔、歴史の教科書には載っていない数々のエピソードに酔いしれることになるのですわ、これがまた。




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