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2007年9月送信 文:いしのてつや 写真:坂上修造・みつはし






 その昔、NHKのクイズ番組で「連想ゲーム」というのがあった。すごく若い人は知らないだろうけれど、ちょっとしたおっさん以上の人は、けっこう知っていると思う。リーダーの言葉から連想される言葉を回答者が導き出すという分かりやすい展開で、現在も似たようなクイズ形式はあるかも知れない。でも、ないかも知れない。
 現在のクイズ形式ってのは、連想ゲームのように、モヤモヤっとしたものではなく、きっちりと答えが導き出せるストレートなものが多いような気がする。これは、なぜなんだろうかと考えると、周囲にあまりにも情報が多くなってしまったので、お互いに共通のイメージが導き出せなくなっているのでは……なんて難しく考えてみる。一昔前は、電話は「リンリン」だったけれど、今じゃ着メロとかで人それぞれである。「電話はリンリン」なんて言っていると、「困ったおっさんだなぁ」なんて煙たがられてしまう。
 それでも、ある言葉を聞いて思い浮かべるイメージってのは、けっこうみんなで同じ方向を向いている事柄もまだまだある。
 例えば「焼き肉」と聞いたら「牛肉」だし、「焼き鳥」と聞いたら「赤ちょうちん」だし、「赤ちょうちん」と聞いたら「かぐや姫」だし、「かぐや姫」と聞いたら……。まぁ、だんだんと共通のイメージからは外れていきますがね。

 さて「革」といったらどんなイメージが湧くだろうか。「黒い」とか「強い」だとか、「鞄」だとか「靴」だとか、これまた色々と出てくることだろう。ところが、これらのイメージの基本になる革ってやつは、牛革製品からくるイメージに集約されているのではないだろうか。つまり「革」って聞いたら、頭のなかで無意識に牛革製品を思い浮かべて、そのイメージがドーンと前面に出てくる。でもね、それだけじゃぁないんですよ、お客さん!! というのが今回のテーマなんだな。



古都 奈良に向かうニッポンのバイク2台。





 奈良県の北東部に宇陀(うだ)市という町がある。その7割が森林であり、わずかな平地部に集落が集まる。とはいえ、古くは関西方面からお伊勢参りに向かう伊勢街道の街道筋でもあり、熊野方面へのお参りの街道筋でもあったから、古い街並みと山里の風景が魅力のひとつであもある。室生寺をはじめとする神社仏閣も点在し、東部に向かえば曽爾(そに)高原や青山高原などがあり、ちょっとした気持ちの良いツーリングルートが描ける。
 この宇陀市には、ある日本一がある。そうなのだ、鹿革の生産量では日本一なのである。正確には、宇陀市全域の産業ではなく、宇陀市内の菟田野(うたの)地区にそのほとんどが集中している。
 ここで、暴走するイメージがムクムクと湧き出してくる。ここを訪れたのは春のことである(ツーリングページ・「男奈良」参照)が、ズッポシとイメージ先行の部分があった。「奈良」で「鹿」とくれば、「奈良公園」で決まり。こんな暴走するイメージ……またの名を先入観という。
 まあ、あの鹿とこの鹿がすんなりと結びつくとは思わなんだけれど、どこかで結びつきがあるのではないだろうか……その方が、何かと付加価値のついた話をホームページやカタログで展開できるのではないだろうか……という下衆の勘ぐりしまくりの出発前であった。
 何かと調べてみると奈良時代、つまり平城京が置かれていた時代にも、大陸から皮革加工の職人をある地域に集めて、加工に従事させていたことは分かったのだが、この菟田野地区とはまったく関係がない場所である。はたして、その真実は……。



「おっちゃん。ギブミーや!!」「……」「なんやシカトかいな」「……」「なにシカめっ面してんねん」「……」「もうっシっカりせぇや」ってな感じでしょうか。(会話はイメージ)


東大寺・大仏殿。751年に創建。過去に2度の焼失を経て1709年に再建。当初の大きさよりも幅が小さくなっているというが、それでも十分に大きい世界最大級の木造建築。大きいことは分かっていても、実物を前にすると圧倒される。





 菟田野地区にある「藤岡勇吉本店」を訪問させていただいた。きっかけは、東京の代官山というお洒落地区にある「奈良県代官山iスタジオ」という奈良県の情報発信スペースからはじまった。三橋氏がここを訪れたのは、奈良県の物産品である鹿革の展示があったからである。「藤岡勇吉本店」の鹿革との出会いであった。そんなこんなで三橋氏は、“皮”を“革”に仕上げる“タンナー”である「藤岡勇吉本店」の革に魅了され、その製品化をめざし、奈良県へとバイクを走らせたのであった。そして、お供として、太鼓持ち歴ん10年の石野が付いていったのである。
 藤岡勇吉本店は、もともとは山藤のツルを買い上げ、それを加工して販売する藤問屋を営んでいたという。それが、山野で狩猟された鹿などの毛皮や皮も扱っていたために、自社で鞣し(なめし)をするようになり、やがてはそれが本業となっていったという。平安京とはなんの関係もなかったことは、出会ってから、ものの数分で判明し、私の目論見は粉砕されたが、まぁそんなことは、想定内だ。
 さて、従来製品に北米産の鹿革を利用したグローブもあり(馬鹿うましかグローブ)、鹿革の性能と魅力は知り得ていた(つもり?)の三橋氏であったが、鹿革ジャケット製作というプロジェクトまで発展するのだから藤岡勇吉本店の鹿革との出会いは、かなり鮮烈であったらしい。こんな証言がある。
 「代官山で出会った鹿革はよぅ、鉱物系のクロム鞣しだったんだけれどよぅ、それでも十分にジャケットにイケそうだって感じたんだよ。それで、さっそく試作用の革を送ってもらってさ、作ってみたんだけれど、それ以上に良い革がタンナーさん(藤岡勇吉本店)にはあるんじゃねえかってピィーンと感じちゃったわけよぉ」
 革本来の見極めと直感と行動力は見事である。しかし……
「奈良っていったら奈良公園 春日大社の鹿だろう。そこで、鹿ジャケットの撮影もしようと思ってさぁ」
 この辺の勢いは謎である。この勘違いにトントンと太鼓を叩いてついていったのが私であるが……。
 いずれにせよ夫婦坂から代官山で、奈良の菟田野(うたの)の鹿革紀行となるが、日本の古い地名は良いなぁと思うね。


東京都渋谷区の奈良県代官山iスタジオ

奈良物産展に藤岡勇吉本店。ここからが始まり。


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