2日目。。。
最終話 8月14日

 この日もペアスロープ歴史旅は続く。だが、その前にオリンピックの水泳競技、北島康介選手の応援が待っている。この日は200メートル平泳ぎ。2冠2連覇達成の瞬間を今か今かとテレビの前にて待ち構える。
 そして結果はご存知の通り、2位以下をぶっちぎりにちぎって堂々たる金メダル!取るだろうとは思っていたけれど実際にその瞬間を目の当たりにしたら驚きと感動が入り混じった妙な気持ちになった。言えることはとにかくスゴい!これで心置きなくツーリングに行けるってもんだ。













“骨折組合”・・・「これ、このバイクで転けたオヤヂがシール作っちゃって、、、う〜〜かっちょわりぃ〜!」高価なBMW ダイスケ号。

 この日向かうのはお隣の県である上州こと群馬県の沼田市。そこには沼田城があるからだ。佐久から上信越道で藤岡、藤岡から関越道で沼田へと各自のペースで向かう3人。さすがにアメリカンでメガスポーツ&リッターネイキッドにはついていけなかった。。。







 そんなこんなで沼田に入る。時間を見るとお昼を大幅に過ぎていたので、まずは昼食を取ることに。
 味噌カツの看板に惹かれフィーリングで入った蕎麦屋「あづま」。3人とも最上級の定食セット(1980円也)を遠慮なく注文する。 え?なんで学生がそんなイイもん食べてるのかって? それは佐久を出発前に三橋のオヤジさんからありがたい軍資金を頂いたからである。普段だったら味噌カツ丼(850円)辺りが関の山であろう。

 特製の甘い味噌付のカツは絶品。至福のひと時。しかし味噌カツが美味すぎて肝心のそばの味は覚えていない・・・。ここのはまぁ普通だったか。前にも書いたようにどうにもそばの味は分かり辛い。仕方がない。ここは味噌カツが売り。ということにしておこう。

チョーうめー、とだらしのない感じで文字が書かれているが、これだけ書かれているということは味の方は期待してもよさそうだ。値段もそれなりにするしねっ。





 上州そばと味噌カツで腹を満たした後は沼田城へ足を運ぶ。ここからしばらく歴史にまつわる話が続くがご容赦の程を・・・。

 今回沼田城を訪れたのは、昨日訪れた上田城ひいては真田氏と切っても切れない関係にあるからだ。
 戦国時代、信州上田城は真田昌幸、そして上州沼田城は昌幸の息子であり幸村の実の兄である真田信幸(のぶゆき)によってそれぞれ治められていた。
 しかし一六〇〇年、天下分け目の関ヶ原の戦いで昌幸・幸村親子は石田三成(いしだみつなり)方である西軍、一方真田信幸は徳川家康方の東軍に別れて、皮肉にも親子同士が戦うこととなった。(しかしこれには西軍、東軍のどちらが勝っても御家を残せるようと事前に計画していたとの説がある。)
 実の息子といえども徳川方に味方したとあらば既に敵であることを覚悟した父親 昌幸は信幸の居城である沼田城に立ち寄った。その用件は「孫の顔が見たい」というものだったが本心は城に入った後、機会に乗じて城をのっとってやろうという魂胆であったらしい。
 その時、城主信幸は不在で城の留守を預かっていたのは信幸の正妻小松姫であった。
 小松姫は昌幸に対して、「敵味方となった以上、義父といっても城に入れるわけにはいかない」と言って武装した姿で城門から昌幸を追い返したという話が沼田城には伝わっている。しかし城から追い返した後、義父である昌幸のもとに子供と共に訪れ昌幸の願いを叶えたと言われる。武勇と忠義を兼ね揃えたなんという肝っ玉母ちゃんであろうか。
 この小松姫、戦国最強と名高い徳川家の家臣本田平八郎忠勝の娘だというから上記の逸話も納得できるというものだ。

 そのようなサイドエピソードを頭に入れつつ沼田城を歩き回ってみるが、ここも上田城と同じく当時を偲ばせるような遺構は殆ど残っていない。かつての沼田城は現在、テニスコートや動物小屋に姿を変え市民の憩いの場となっている。城らしい物は何も残っていなかったためか見ていて正直つまらなかった・・・。
 歴史好きの筆者でさえこうなのだから、それに同行した2人は尚更だろう。。。 せいぜい楽しめたのは動物小屋ぐらいなものだ。(熊がいたのには少々驚いたが) だけど同じ動物を見るなら動物園に行ったほうが100倍面白いに違いない。




 さてここで2日間に渡る信州・上州に跨る真田巡りのツーリングも終わりを迎え、各自実家のある東京、新潟、群馬へとバイクを走らせる。しかし問題は関越の東京方面上り線であった。そこには20km以上渋滞している車の列があったらしい。(ユウさん談)・ ・・お盆にツーリングなんて行くもんじゃないのかもしれない。(今更気付いても時既にに遅しか・・・。)

 今回は歴史旅と称した渋すぎるツーリングに行ってきたが、普段サークルで行っているツーリングはサーキットに行ったり、水上バイクを走らせたりと日本各地を目まぐるしく走っている。歴史のれの字さえも出てこない。正直、今回の歴史旅ツーリング、同伴のユウ、ダイスケさん2人にとって退屈な時があったかもしれない。いやきっとあったに違いない・・・。

 2日間の工程を振り返るとおよそ学生のツーリングとは程遠い内容となってしまったところが少なくない。真田巡りと称してお城に行く学生なんて中々いそうにないだろう。 だからこそそんなツーリングがあってもいいじゃないか。ツーリングを通して、我らが日本各地を訪れて、歴史を学び、こんな面白いことや大変なことがあったんだよと紹介したい。
 事実は小説よりも奇なり。という言葉もあるように日本各地にはまだまだ歴史にまつわる面白いエピソードがあるだろう。それらを紹介して少しでも歴史に興味を持って頂ければ幸いです。

 さて・・・学生の視点から見た真田ツーリング紀行楽しんで頂けましたでしょうか?普段載せている三橋のオヤジさんとは違い、つたない文章と写真ではありましたが楽しんでいただけたら幸いです。最期までご覧頂きありがとうございました。
木村 友哉



あとがき
当サイト担当:三橋 [2008年9月3日]
 う〜ん、、、なんと言ったらいいんだろうか。やはりというか、分かってはいたものの写真がショボい。技術うんぬんではなく、写真に心がこもっていない。それって具体的にどうするのよ、って言われても即答できないが、もうちょっと一枚一枚の写真を一生懸命に撮ってほしかった。
 そして文章。本来9月1日に発信予定で原稿をもらったが、二度、書き直しを命じている。もっと自分の思ったことをストレートに書いていいよ、と伝えたが、なんといっても大学生木村友哉にとって初めてのことだから、今回送信の文章にも所々に遠慮を感じる。まあ、学生らしさがでているといえば、それで良いのかもしれないが。
 
 それにしても、上田城跡がマイナーなら、沼田城跡はド・マイナー。ふつ〜、学生のツーリングで行かね〜だろな、この両方を。私も歴史旅は好きだが、ここまで奥深いところには行かない。この春(2008年4月)に同じ上田城跡に訪れたが、それは桜が目当て。昨年(2008年7月と10月)の武田信玄、上杉謙信だって、温泉が目当て。そう、私の場合は“なんちゃって歴史旅”なのである。

 ・・・意に反して紀行ページを褒めてもしょうがなく、なんだか批判的なことばかり書いてしまったが、でも私とはちがって、真面目に直球で歴史旅に取り組んだことは評価しなければいけない。
 今後、また挑戦してくれるだろうか、、、? 馬刺しとビール、翌日の味噌カツ定食をおごられたくらいで、ああ馬鹿馬鹿しい、と、もうやめてしまうのか、、、?

 このあとがきを書いている9月3日、彼らは北海道に向かった。そして木村友哉に言った。「最上級のウニ丼、おごるから、北海道編頼むな!」 学生達の二輪旅紀行“北海道”、9月末には送信できるかもしれない、、、ウニ丼のおかげで。


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