行こうよ勇さん、夕張! 〜4日目〜  

 朝7時に起床し直ぐに食堂に行った。外は薄曇りのようだが昨日ほど寒くなさそうだ。クロワッサンとカフェオレのブレックファーストなど望むべくもなく、そこいらの旅館の夕食なみのメニューとボリュームにたじろぐ。さすがに食欲がわかず、たくさん残してしまったが、ご飯をおかわりする強者もいた。

 
船長の朝食

 食堂を一番に出て部屋で荷物をまとめて外に出た。それほど寒くない。「早いっすねー、もう出発ですか?」とライダーたちに声をかけられる。今日は旭川市内を避けるために林道を迷走し、富良野を経て夕張まで走る予定だ。かなりの距離があるし、どうしても旭川近辺や富良野で時間を食われてしまいそうだったので、連日の強行軍の焦りを少しでも解消するために早く出発したい。
 その前に「船長の家」の向かいにある海鮮市場で毛ガニやホッケの開きなどを東京の実家や知人に発送した。ここの海鮮市場も経営は船長だ。民宿に宿泊した客は10%引きで買い物ができる。毛ガニの一番良いのが1パイで1,680円、サーモンが1枚130円の安さである。あれだけの料理がついて一泊5,980円というのも頷ける。ただし、東京から電話で注文すると毛ガニが3,000円ぐらいになってしまうのが残念だ。送料も別にかかる。以前、道内のスーパーマーケットで冷凍の毛ガニが1パイ500円で売られているのを見たことがある。別に特売ではない。これだけ流通が発達しているのだから、東京でもせめて
2,000円以下で買いたいものだと思う。まぁ、旅をしてきてその土地のものを味わうのはまた格別ではあるが...。

船長の家
         


 サロマ湖畔を走り、961号線で南下を始める。昨日までの反省もあり万感の思い!?で林道をスキップする。今日は日が暮れる前に夕張に着きたいのだ。北見市、留辺蘂町(読めない!)を通り抜け39号線で旭川方面を目指す。旭川市内の混雑を避けるために『愛山米飯線林道』(20km TM46頁3-H)を探すが、実はこのルートの先が地図でははっきり分からない。TMでは道が行き止まりにも見えるし、なんとか小さな村落まで出られそうにも見えるし、はっきりしない。ここでルートを誤ると明るいうちに夕張に着けないのは確かだった。『愛山米飯線林道』までは迷うことなく行き着くことができた。まるで古代の原生林のような雄大な大自然の中を突き進む。熊どころか恐竜が出てきてもおかしくない風景が続く。




 林道はダムと共に整備されている自然公園に出たところで終点だった。コンクリートで整地して何が自然公園なんだか? でも、ダートを抜けた後、なだらかな舗装路をスラロームするのが気持ちいい。ホクレンGSを発見したので給油することにした。誰もいない。よく見ると「ご用の方はこのベルを鳴らして下さい」と張り紙がある。ベルを鳴らすとほどなく建物からおじさんが出てきた。ここはJAの建物の一角だった。建物の中は右手に郵便局のようなカウンターとその奥に事務所があり、左手には日常雑貨や肥料などが売られていた。花火やビーチボールが夏本番を待ちわびていた。
 予想していたとおり少し迷走したが無事に富良野へ向かう966号線に出ることができた。13時を少し過ぎたが、さほど時間はロスしないですんでいる。道沿いにラベンダー畑がいくつか見えた。この時期ならではの風景を満喫しながら走る。富良野では有名な「ファーム富田」に寄ろうと思っていたが(ここの売店で“ゆできび”が売られていることを昨晩相部屋だったCB君から聞いていたのだが)、近くまで行くとクルマが渋滞していたのでその場で引き返し、碁盤の目のように道が縦横に延びる富良野の平原を「麓郷の森」に向かって走った。

 どうやらこの頃から私は不思議な異次元空間に入ったらしい…。
 畑の中を伸びる一直線の農道をトコトコと単気筒を走らせていると向こうから小学校4年生ぐらいの少年と1年生ぐらいの少女が手をつないで歩いて来る。下校の途中だろうか。まるでドラマ「北の国から」の純くんと蛍ちゃんのようだと思った。すれ違う時に少女がクルッと顔を向け、にっこりと微笑んだ。私はそれを予期していたような気がする。その笑顔はまるで天使のような純粋無垢な表情で、その笑顔が私の脳裏に焼き付いていた。聖なるものにより救われた気分だ。
 麓郷の森を走る道は観光客のクルマが多く走っている。「北の国から」の撮影に使われた石の小屋を観に行く人が多いようだ。私は数年前に見学しているので、信号を左折してクルマの列から離れた。この先はまた富良野の町に出られるルートなのだが、途中に未舗装路が数キロあるのであまり観光客が入って来ないようだ。地元の人がわざと未舗装路を残しているのかもしれない。私にとっては未舗装路こそが喜びなのだが。見覚えのある木材店の建物が目に入った。ドラマによく出てきた木材店だ。森と畑が続き、小さな丘をいくつか越えると丘の上に墓地があった。周りに囲いなどなく木々と牧草地に囲まれて墓石が並んでいる。北海道で初めて目にする墓地だと思う。ここは観光地ではなく人が生活をして
いる場所なのだと改めて思う。富良野はドラマの影響ですっかり観光地のイメージが強くなっているが、北の大地のど真ん中で厳しい環境と闘いながら生きて、そして世を去った人々の土地なのである。これは富良野に限ったことではない。人々が生活のために作った道や橋や町に旅人はありがたくお邪魔させてもらっていることを強く自覚する。旅の中で雄大な山や湖などの景観に感動するのも素敵なことだが、オホーツク海岸沿いの静かな漁村や、原野にぽつんとたたずむ牧舎を眺めながら走るのも好きだ。人の生活の臭いを感じると、なんとも言えない寂しさを感じたりもする。これを勝手に“旅愁”と思うことにしている。富良野の平原が見渡せる丘の上で一服しながら感傷にひたる。



 富良野の町に戻り、通りを抜けるところで蛍ちゃんが勤めている病院があった。もちろんドラマの中でのことだが、病院の生々しい存在感が架空の世界と現実の境目を浸透していた。135号線を左折するところでようやく標識に「夕張」の文字を発見する。16時を過ぎてしまっている。夕張までまだ100km近くある。ひたすら単コロに鞭を入れ、走る、走る、走る・・・。これだけ連日長距離を走り続けるとハイになってくる。さらには富良野で感じた異次元の感覚とも相まって、どうにも穏やかな空気が私を包み込む。数年前に四輪駆動車で北海道を旅した時、運転してばかりの三日目の夕暮れ時に心の中が真っ白になったことがある。夏の永い永い午後の果てに広い空が赤く染まり、私自身の心も見事に黄昏れていた。風が止まり、時間も止まったようだった。もし、心のリフレッシュというものがあるとすれば、まさしくあの状態のことだと思う。無心とでもいうのか、雑念が全て消え去る。心の中がポカーンと空っぽになり、静かな平穏の時が訪れる。今年のバイクツーリングでこの現象を再体験することが旅の密かな目的だった。
 層雲峡の「ここは日本か?」と思うほどの荘厳な絶壁を左右に見ながら、走る、走る、走る・・・。真っ白になるまで走り続けた。



 夕張の丘の上の「幸福の黄色いハンカチ 想い出広場」に到着したのは17時をとっくに過ぎてからだった。映画の撮影に使われた炭坑町の長屋の中を改造した見学コースは17時で閉じており、おばあさんが掃除をしていた。ガラス窓から室内にある赤いファミリアが見えた。雲間からの弱い陽光が風にはためく黄色いハンカチを照らしている。まだ日没までは時間があるが、ここではすでに心地の良い黄昏が始まっていた。ふもとの町から吹き上げてくる風が心地良い。



 夕張にはホテルを予約していた。このあたりにはペンションや民宿はほとんど無いようだ。炭坑が閉山してからの町の衰退はとどまることがないようだ。それでも冬場はスキー客が多いのであろう、立派なレジャーホテルが建っている。私が泊まるのはそのレジャーホテルではなく、夕張映画祭の会場なる「ホテルシューパロ」というホテルだ。大きな建物が少ない町なのでホテルの場所はすぐに分かった。それにホテルの壁面には大きな映画の看板がある。


ホテルシューパロ

 日が暮れるまでに夕張に着きたかった理由は黄色いハンカチと、夕張の町の映画の看板を観てまわりたかったからだ。夕張映画祭と共に町興しに?町中のいたるところに大きな映画の看板が掲げられている。
 ホテルにチェックインし、部屋に荷物を置いてすぐに町に出た。町というほどの町並みではないと言ったら夕張の人に失礼だが、町が衰退しているのは歩くたびに見えてくる。商店の看板や建物の壁面そこかしこに古い映画の看板がある。「大脱走」「椿三十郎」「風と共に去りぬ」・・・







 夕暮れ時に、古びた町で懐かしい映画の看板を観ているとタイムスリップでもしたような気になる。まだ18時半というのにほとんどの商店のシャッターが下りている。よく見ると多くが廃業しているように見える。歩いていても人の気配がしない。ホテルの裏手にあると聞いていた名物ラーメン屋も閉店しているようだ。その裏道には、高倉健がやけを起こして人を殺めてしまった呑み屋横町のような情景がそのまま残っていたが、ネオンには灯りがない。
 日が暮れたので、ホテルの斜め向かいにある「ラーメン寅次郎」に入った。その名の通り、表の映画の看板は「男はつらいよ」で、店内にも寅さんシリーズのポスターが並んでいる。けっこう広い店内は先客のカップルが一組いるだけだった。味噌ラーメンとライスを注文、待っている間に芋焼酎「ゆうばり寅次郎」を呑んだ。


ゆうばり寅次郎

 そういえば今日も“ゆできび”を食べ損ね、サロマ湖の民宿を出てから何も食べていなかった。昼過ぎから穏やかな異次元空間に身を置いていた私に、いも焼酎の酔いが一気に回ってくる。ラーメン屋はおばちゃんがひとりで切り盛りしているようでなかなか時間がかかると思っていたら19時で閉店だったらしい。私の後に入ってきた工事作業服の客におばちゃんが「すいません、もう閉店なんで火をおとしちゃったんですよねー。だからお時間がかかっても構わないでしたら、どうぞお入り下さーい」と言っている。作業服男は「じゃあいいや」と言って帰って行った。私が今日の最後の客になったようだ。19時で店を閉めるラーメン屋に驚きながらも、片付けを始めてから入ってきた私を暖かく迎え入れてくれたことに感謝したい気持ちの方が大きかった。なにしろこの店が閉まったら、この町で食事をするところは無さそうだからだ。コンビニなんか望むべくもない。味噌ラーメンができるのに時間がかかる理由に納得し「ゆうばり寅次郎」をロックで呑み続けた。
 先程からカウンター席にいる先客のカップルが気になって時々目をやる。年齢は二十代前半ぐらいだろうか、バイクで二人乗りをしてここに来たようだった。そういえば先程町を散策中に二人乗りのオートバイが走っていた絵が記憶に残っていた。そうだ、ホテルの裏の呑み屋横町から出てきた時にすれ違っていた。男の方は短髪で黒い革ジャン姿で、女の方はジーンズ地のジャケットで首に赤いスカーフを巻いている。二人ともあか抜けない純朴そうな顔をしており、その風体はレトロ風というか、今時の若者のスタイルではなかった。過去に置き去りにされたようなこの町にお似合いの・・というか?・・この町から出てきたような?・・・カップルというか?・・・えっ!? ここはどこだ・・?

 ボリュームたっぷりの味噌ラーメンと、焼酎のつまみにとおばちゃんがご馳走してくれた漬け物をいただいてから、足元をふらつかせながら店を出た。不思議なカップルが先に店を出たはずだが記憶に無い。店の前に停まっていたはずのバイクも消えていた。店の中に戻って「さっきまでカップルがいましたよね?」と聞いてみようかと思ったがやめた。店の向かいにあるバス停のベンチに座り夜風にあたる。なんとも言えない極楽な気分だ。人と語り合ったり、大勢で騒ぐのも楽しいが、こういう“ひとり”もやっぱり旅の醍醐味だと思う。へへへ・・・酔っぱらいの戯れ言だ。
 全ての商店が閉まっている薄暗い通りで、電柱のスピーカーから昭和初期の歌謡曲が流れている。ほどなくラーメン屋の前に軽自動車が停まった。運転席から下りてきた女性はラーメン屋のシャッターを下ろし始めた。おばちゃんの娘さんが迎えに来たのだろう。ごくろうさん。目をやると薄暗闇のなかで三船敏郎が勇ましく刀を振り翳していた。ごくろうさん・・・。


ラーメン寅次郎は夜7時で閉店

<今日の走行距離:412km>


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