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積丹半島ウニ丼決戦! 〜5日目〜 7時少し前に起床。今日は北海道を離れる日だ。あっと言う間の4日間が終わろうとしている。フェリーは23時45分発なので、苫小牧港には夜までに着けばいい。そう考えると、宿の夕食時間に間に合うように焦っていたこの数日間に比べてずっと余裕があることになる。昨夜の酩酊が嘘のように酒は残っていない。昨晩、ホテルの大浴場に誰もいなかったので、泳いで汗をかいたからだろうか?テレビで天気予報をチェックすると、札幌や小樽方面は一日中快晴で最高気温は25℃になるとのことだ。今日はジャケットの下にフリースを着込まなくても、ジーンズの下にジャージを重ね履きしなくてもいいみたいだ。 出発の前にホテル1階のレストランでバイキング形式の朝食をとる。夢にまで見た(嘘)クロワッサンとカフェオレと、スクランブルエッグ、ベーコン、サラダ、そしてオレンジジュースの軽い朝食をとった。チェックアウトして(朝食付きで6,000円也)ホテルを後にしたのは8時を少し過ぎていた。今日は高速道路に乗って一気に小樽まで行き、積丹半島をぐるっと周り、ニセコあたりを経由して苫小牧に向かうコースを考えている。道道3号線と337号線を、もうすっかり得意になっているひたすら直線、時々直角に曲がるを繰り返して道央自動車道の江別東ICから高速に乗った。途中、ホクレンGSがあったので給油しようとし たけど混雑していたのでやめた。小樽まで50km強、ざっと計算してみると、セロー号はこっちに来てから35km/Lの驚異的な高燃費で走っているようだ。法定速度+北海道の常識速度で巡航するのにかなりエンジンを回し続けているのに驚きの燃費である。出発直前に発見して少し気になっていたフロントブレーキホースからのオイル漏れは、今のところまったく問題無いようだ。考えてみれば北海道ではブレーキを使う頻度が極端に少ないのだ。心配することは無い。 高速道路は片側が2車線あるのでのんびりと左車線を走る。札幌が近づくにつれて青空が広がってくる。マンションやオフィスビルが立ち並ぶ都会の景観の中を縫うようにして高速道路が延びる。大倉山だっけ?スキーのジャンプ台があるのは。札幌市内のすぐ近くに綺麗な山並みが見える。恵まれた環境だ。 |
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札幌を少し過ぎたところで遠くに海が見えてきた。陽光にキラキラと輝いている。10時過ぎに終点の小樽ICを下りた。ここも大きな町だ。人とクルマが多い。片側4車線もある幹線道路の両脇に、趣のある歴史的な建物が並んでおり、それを目当てに集まって来る観光客相手の店が並んでいる。お洒落な街に泥だらけのセロー号は不釣り合いである。小樽には過去3回来ており、その度に宿泊していたので有名な運河やガラス工房などは見て回っていたので、今日は何の未練も無く素通りして積丹半島を目指す。過去3回の小樽は翌朝函館港に向かっていたので、今までに積丹半島を走ったことが無かった。右手に海を見ながら走っていると、どんどん海の色が青くなってくるのが分かる。昨日までとは違う国にいるかのようだ。夏らしい日差しを浴びて、潮風がこのうえなく気持ちいい。 積丹岬の駐車場にバイクを停めて、灯台がある展望台まで急坂を歩いて登ることにした。看板に0.3kmとあったので気楽に登って行ったのだが、しばらくしてまた0.3kmの立て看板がある。何だよ!と思った時はすでに太股がパンパンで、息がぜいぜいしている。日頃の運動不足がたたっている。急坂を登りきったところに灯台と見晴台があり、眼下に「えっ!?」と思うほどの青い海が広がっている。すごいなぁ、ぜえぜえ・・、綺麗だなぁ、ぜえぜえ・・、東京に帰ったら水泳教室にでも通おうかなぁ、ぜえぜえ・・。 |
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さて、いよいよ「積丹半島ウニ丼決戦」の時がきたのである。いつまでもぜえぜえしている場合ではない。岬から少し走るとその名も「みさき」という食堂があった。積丹半島のウニ丼では一番有名な店だ。ちょうど昼時だったので、みさき食堂の前にはクルマやバイクが沢山停まっていた。私が目指しているのではこの食堂ではないので先を急いだ。数キロ走っても、Uターンマークと「みさき食堂」の看板がそこいらにあってやかましい。そんなものには目をくれないようにしながら、目指す食堂「なぎさ」を探した。道路際に小さな立て看板があったので、なぎさ食堂を見落とすことはなかった。店の前にセロー号を堂々と横付け にする。13時に近くなっており、他に客はいないようだ。あたりにバイクもクルマも無い。「んっ? なぜ、のれんが店の中に‥‥!?」ガビ〜ン! どうやら休みみたいだ。四十のオヤジでもガビ〜ンはガビ〜ンである。電柱の上でカラスが ガァ、ガァ と笑っている。やかましいわい! 本当に残念である。予想していたとおりの小さな掘っ建て小屋のこの食堂を夢にまで見ていたというのに(嘘)。 気を取り直して、というか空腹に急かされて第二作戦に切り替えてセロー号を走らせた。インターネットで読んだ某氏の紀行文に積丹半島のすし屋のウニ丼がさりげなく且つ当たり前に美味であったという一説があった。なるほど当然至極のことであろう。ほどなく通り沿いの「浜寿司」の前に改めてセロー号を堂々と横付けしてのれんをくぐった。奥には座敷もある広い店がずいぶん混雑している。ここも人気の店なのだろう。積丹岬の手前で見かけた黒塗りハイヤー5台行列の御一行様もこの店に入っていた。似つかわしくない背広姿の男ども。出張と称した役人の観光旅行以外の何ものでもない。ま、この際そんなことはどうでもいい。ウニ丼2,400円を無心でたいらげた。残念なことに、このすし屋のウニはムラサキウニだった。池田町のペンションのこだわりオーナーから「馬糞ウニを食べなくちゃダメだからね、分かってるね」と念を押されていたので「しかたがない、ウニ丼のはしごだな」と気を入れ直して次の決戦場を探した。 |
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![]() ムラサキ ウニ丼 2,400円 |
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積丹半島の外周道路にはトンネルが多い。数年前にトンネルが陥落した大惨事があったところだ。海まで迫り出した断崖の下を海岸にそって小さな村落が点在している。だからこんな風に道を造るしかないのであろう。青い海も綺麗だが、そびえ立つ断崖も素晴らしい景観で圧倒されまくる。 |
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大惨事の反省からなのだろうがトンネルはどれもこれも最新式に整備されており、時おり大規模な工事にも出くわす。道沿いに点在する休憩所もしっかり整備されているが利用者はほとんどいない。この膨大な建設費用の1/100でも事前に投入されていれば大惨事は避けられたのかもしれないなどと、トンネル内で工事片側通行の赤信号に待たされながら考えたりしてしまった。 長いトンネルを走行中、なぜかふと右側を振り返った時にはっきりと「おにいちゃん」という少女の声が聞こえた。あれまぁ、出たのぉー という感じである。私には妹がいるが、妹は私のことを「おんちゃん」と呼ぶので私は「おにいちゃん」と呼ばれたことはない。その直ぐ後で妹からメールが届いたのには驚いたが、そのメール内容は母が人生で3度目の海外旅行から無事に帰宅したというたわいのないものだったので安心した。 少女の声の「おにいちゃん」は悲壮な叫び声でもなんでもなく、「おにいちゃん、ご飯だよ」という感じの普通の「おにいちゃん」だった。さっきのトンネルが事故があったところなのだろうか?などと考えながら、厳粛な気持ちで少しスピードをおとして走っていたら、約100kmの積丹半島を走り終えていた。 |
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![]() 羊蹄山 |
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しまった!馬糞ウニを食べ損ねた。でもその時点で「まぁいいさ、また来れば」と考えるようになっていた。今夏は今日で北海道を離れることになるが、また来年も来るさ、多分再来年も続けて来るだろうと考え始めていた。ニセコをぬけ、羊蹄山のふもとのジャガイモ畑の中を走りながら「それにしても北海道は凄い、奥が深いのなんのって」と思い続けていた。どこまでも広がる平原や湿原があるかと思えば、荒々しい渓谷や勇壮な山々、そしてオホーツクの厳しい海や積丹半島の青い海、幻想的な湖、池、川、森、風、空・・・。この大地には人を酔わせるあらゆるものがある。そこで暮らす人の生活も様々で感慨深い。旅先で出会 う人々もみな楽しい。そして何もかも力いっぱいおいしい! 北海道ほど素晴らしいところは北海道にしかない。地球上で最も素晴らしい北海道はこの北海道以外にあり得ないなどど、時々来るだけの旅人が勝手にセンチメンタルに思うのは横暴だろうか? 北海道よ、申し訳ないかもしれないが、私のようなツアラーたちを受け入れるにまだまだ充分な懐があるだろう。北海道よ、いつももらってばかりですいません、ありがとう。などと感慨深げに思いながら半泣き状態で支笏湖畔を駆け抜けて、この旅で最後になる『丸山林道・第2縦断林道』(22km TM 22頁4-G)に入って行った。 |
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ダートは土路がよく整地されていて走り易い林道だが、分岐や十字路に出くわすことが多くて直ぐに方向を見失ってしまった。時々、何やら記号が書かれた標識があるのだが、北海道電力の工事作業車用の標識らしく意味がさっぱり分からない。アレ?さっきここを通った気がするぞ!?という風景に出くわし、まるで迷路の中に迷い込んだみたいである。日が暮れる時刻になり森の中は薄暗闇で心細い。気温が急に下がってくる。 やっと見つけた【国道→】という、ありがたくも色気の無い標識を頼りに走ると276号線に出ることができた。直ぐに室蘭−苫小牧を結ぶ幹線道路に乗り、トラックに囲まれながらフェリー港を目指す。あたりはすっかり暗くなっており、片側5車線もある幹線道路で右折するためにトラックの流れをぬって一番右側の車線に移るのが至難の業のセロー号とその乗員1名は、ウィンカーと不格好な手旗信号で精一杯自分をアピールしながら冷や汗をかいてようやく苫小牧港フェリーターミナルに到着したのでした。 |
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ターミナルに着くと、サロマ湖畔の「船長の家」で相部屋だったCB君にばったり遭遇した。彼も同じフェリーで帰るとのこと。乗船開始時間までの暇つぶしに、CB君と北海道最後にホクレンGSで満タンにしてスタンプをもらってから、コンビニに買い出しをしに行くことにした。しかし、1,000ccのバイクと幹線道路を一緒に走ろうとしたのは間違いだったと直ぐに気づいたがもう遅い。セロー号も必死に走った。 CB君に教えてもらったので分かったことなのだが、東日本フェリーと商船三井フェリーは共同で船を運航させていたのだ。そういえば両社の出港時刻は同じだった。どのフェリーがどっちの会社の持ち物なのかは分からないが、それぞれの便で両社が客室を事前に分け合う取り決めをしているらしい。だから予約する際に東日本フェリーが満席でも商船三井フェリーにはまだ空きがあるなんてことがあるそうだ。来年の予約のために憶えておこう。 |
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20時に東日本フェリーのカウンターで乗船手続きが始まったので真っ先に手続きをした。カウンターの若僧に大洗港で手続き済みの予約券を渡すと「ふーん、そうなんだ。アレ?
あ、そういうこと?」などと手元の端末を操作しながの独り言が耳障りだ。おい、小僧!会社更生法は「ふーん?」では済まされんのだぞ、覚悟しておけ! それから20時半にラストオーダーというターミナルビル内のレストランで慌てて定食を食べた。毎晩22時過ぎまで上船待ちの客がいるのだから、せめてその時間まで営業していてほしいものだ。それと、お冷やに必要以上にクラッシュアイスを入れるのはやめてもらいたい。それがサービスのつもりなのだろうか?だいたいがさ、冷たい水を飲みたくなる気候かい? ターミナル内の土産もの屋は23時まで営業しているらしいので、ゆっくりと職場への土産を選んだ。ゆっくり選んだが結局は初めから考えていた「マルセイバターサンド」を買った。確かに美味しいことは認めるが、20個入りで一箱2,000円はちょっと高くはないかい?一箱では足りないから二箱も買ってしまったし。先程から何かにつけて自分の愚痴がやかましい。フェリーターミナルの近代的な建物の無機質な雰囲気に馴染めないからだろうか。まるで山奥から人里に下りてきた頑固オヤジのようだ。オヤジはついでに東京の姪への土産にストラップをひとつ買った。キタキツネの着ぐるみを着たドラえもん(北海道限定)。 |
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乗船は22時少し前から始まった。のんびり乗船場に向かったので、並んでいたバイクはほとんどが先に乗船していた。小雨が降り出していた。勝手知った要領でフェリーのタラップを駆け上がり、ぐるぐると船内のスロープを2階まで下りて行く。往路と同じく30台ぐらいのバイクが整然と並んでいた。どのバイクも汚れてはいるが、ホクレンのフラッグを立てて誇らしげである。 往路のドライバーズルームとは違って、復路の二等寝台は正真正銘の二等寝台だった。二段ベッドがウナギの寝床のように縦に3台並んで壁で仕切られている列がいくつも並んでいる。私は3台並んだベッドの一番奥の下段だ。人の足音などが最も気にならない最良の場所だが、乗船手続きを真っ先にしたからなのかは定かではない。二等船室は空いており、二段ベッドの上段は全て空いていた。船室に持ち込んだ少量の荷物をベッドにおいて、ノートPCを持って甲板に上がった。池田町以来数日ぶりにメールを読み込む。三百数十件、げっそりであるが、後で船内での暇つぶしにはうってつけだ。デッキから見下ろすフェリーターミナ ルは小雨の中で寒々しい。この先何回もこの風景を見ることになるだろうと思うと、北の大地を後にするというのに寂寥感のようなものはわいてこなかった。船内の風呂に入ろうかと思ったが、コンビニで買った酒(菊水)を呑んだら睡魔が襲ってきたのでベッドに横になる。いつの間に出港したのか覚えていない。 |
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<今日の走行距離:405km> | ||
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