6月には、平安時代に平 清盛によって流された源 頼朝の伊豆、その源氏ボタルが乱舞する姿を見に行った。
 頼朝、とくればやはり「義経」をめぐる旅もせねばなるまい。
 義経で有名な地は壇ノ浦と平泉だが、山口県と岩手県の両方を同時に旅するのはあまりにも遠すぎる。しかしどちらにするかは迷うことなく東北となる。そこには素晴らしい温泉が数多く点在するからである。
 きっと義経や弁慶も浸かったであろう極上の湯、とっぷりとご覧に入れよう。 



2005年7月13〜16日 文・写真:三橋 [全7ページ]


 「頼朝だとか義経だとか言ってるけど、ただ単にツーリングしたいだけの口実でしょ?」
 ・・・恐らくみなさんそう思っているだろうが、伊豆とみちのくの源氏にまつわる旅は、今までとはちょっと違う。
 かれこれ30年ほど前に私の祖父から聞いたことだが、我が先祖は鎌倉の出で、鎌倉時代には頼朝に仕えていたそうだ。「800年も前のこと、いいかげんなこと言うなよ!」と言うなかれ。祖父のそのまた祖父が明治時代の小学校の校長で、先祖の“家系図”なるものを書いており、その書を私も確認している。
 ただし、頼朝に仕えた先祖が、どれほどの位であったのかは知らない。そして現在、鎌倉市には三橋姓が多いが、なかには遠い親戚もいるものと思われる。


 そんなわけで、梅雨明けきらぬ7月中旬、カミさんを伴い2台の非力なドイツ車が東北自動車道を北進する。
 福島県辺りの天気予報では“曇り時々雨”、しかし実際は快晴。はずれても気分はいい。それにしてもナンですねえ、どうして覆面パトっていうのは、ああもこうも根性ひん曲がってるのでしょうねえ。
 90km/h弱で走っているトラック軍団を追い越そうとしている時のこと。列の中にいる覆面パトに気づいたので105km/hほどでゆっくり抜く。するとすぐに車線変更してカミさんの後ろにピッタリと着く。車間距離など無視して、追い立てるかのように。これじゃあいやでも速度を上げてしまうだろう・・・それがワナだ。
 「あんたが覆面だってのはバレてんだよっ!」とわざと逆に速度を落としトラック軍団を抜いて走行車線に戻ったら、そりゃあもんの凄い勢いで追い越していった。追尾したら130km/hもだしていやがる。
 これを読んでいる警察の偉い方がもしおられたら(きっといないだろうが)、何度も経験しているがあんなキッタナイ取締りをぜひ見直すよう配慮してほしい。でないと、いつまでたっても反感を買うだけだ。
 なお、カミさん同伴でない場合は、時には私もキレて、根性のひん曲がった例の車をブッちぎることもある。だから依然ゴールド免許。。。
猪瀬 直樹氏に噛みつかれている悪名高い日本道路公団所有の東北自動車道を北へ北へと向かう。




福島県からは“イーグルス”の旗が目立つ。善戦むなしく2005年7月現在、ダントツの最下位だが。




今回の旅の相棒は、毎度おなじみの乗りやすい単コロ F-650GS と、同じくBMW R-100R。 2台合わせてもたった110馬力の中途半端に古い20世紀ゲルマン民族製品。



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