2006年4月4日 |
“津和野”ってえのは、どういう立場の街なのだろうか。 “おいでませ、山口” ・・・観光サイトや、ポスターでも、必ず“萩”とコンビで宣伝されている言葉だが、でも津和野は山口県ではなく、島根県じゃないか。 いくら県境ぎりぎりに位置するからって、ドサクサにまぎれて観光のワナにはまった気がしてしょうがない。 |
岩国でカメラマンのオッサンと別れ、我々2台のバイクは瀬戸内海沿いを南下、そして西に向きをとり、途中周南市から北上して津和野に向かう予定だ。 津和野や萩といった街は、女性の人気は高いが、けっして男同士で訪れるところではない! と聞いていた。もし男二人で泊まったなら、間違いなく怪しまれることだろう。だから男はおらず、若く、きれいな女性がたくさんいるのだろう、、、と想像しながら、おだやかな海岸沿いを走っているわけですわ。 ところが前方はどんよりとした曇り空。いまにも降り出しそうな気配である。さてこれからどこに立ち寄ろうか、どこで昼飯を喰おうか、とりあえず柳井(やない)の港で思案の休憩。 ここ柳井港は、四国愛媛県からのフェリーの発着場だ。やがてフェリーがやって来て、ツーリングらしきバイク乗りも降りてきた。 |
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どうしてもいっしょにツーリングがしたいというので、柳井港で待ち合わせたが、しかし今回の旅の意図がまったく分かっとらん尾原。ニッポンのバイクでなきゃいかんのになんでBMWなのだ! もう1台所有のちょい古いツースト ヤマハR1-Zでなぜ来ない。 あ〜だこ〜だとぼやいていると、ポツリポツリと水滴が、、、ヤツは雨雲まで連れて来た。 |
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柳井からは本格的な雨。 よって、写真など撮れるわけなく、 雨男を従えて津和野に到着。 |
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津和野でも雨は降りつづく。本来活躍されては困る弊社レインスーツが大活躍。※RE-03レインスーツ |
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宿に戻り、気になってしょうがない“源氏巻”、いったいなぜ津和野の名物なのだろうか。ちょっと調べてみた。 1600年代末の江戸時代、“忠臣蔵”で有名な赤穂浪士の起こす事件の3年前のこと。当時の津和野藩主が勅使(天皇の使者)接待役を命じられ、吉良上野介(きら こうずけのすけ)に指導を願った。しかし例の浅野内匠守(あさのたくみのかみ)同様、数々のイジメを受け、怒った藩主は吉良を斬る覚悟をした。 それを知った津和野藩家老の多胡(たご)氏は吉良上野介に小判を下に敷きつめてお菓子を贈り届け、ことなきをえた。その菓子が源氏巻だという。・・・吉良上野介ってえのはここ津和野でも悪党で名が通る。 さてその菓子が源氏を語る由来は、藩主夫人が源氏物語から名づけたとの説もあるが、正確なことは分からない。 恐るべし、源氏巻。たったひとつの菓子が、これほど深い歴史を持っていたとは。 |
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雨で津和野の写真が撮れず、 源氏巻で間を持たせた、というのがホンネ。 あとはひたすら食うのみ。 |
雨男の尾原が真っ赤な顔して私の部屋にやって来る。べつに怒って興奮しているわけでもなく、夕食に呑んだ酒がまわっているだけ。よくもまあ、ちょこっとの酒で赤くなるものだ。へちょいぞ尾原ショ〜スケさん(なんでぇ〜しんじょう つ〜ぶした♪)。 おうおう、今夜はまだ呑むぞっと酒を酌み交わすと、突然、ソデの下から現れる、初めて目にする3双のグローブ。 「これはですねえ、超高級“仔牛”グローブとニューデザイン2点の試作品ですわぁ。特長はですねえ・・・(話が長いので以下省略)」 「おい!牛だの馬だの鹿だの馬鹿(・・・うましか)だの、もう連発で新作を作ってるっちゅうのに、まだやるか!まあいいだろう、意欲的なのはいいけどなあ・・・(より話が長げえので省略)」 双方酔っ払ってるのに、楽しいツーリング最中なのに仕事の話などするもんじゃない。なんて非常識なヤツだ!(真面目なヤツだ)、と一喝。 でも気になる“仔牛”のグローブ。1頭で2〜3双しか作れないって。 「俺にくれろっ!・・・」 |
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