前日に恐る恐る電話を掛けた。“関絹織物”という大島紬の織り元である。電話の向こうでは、せっかく東京から来るのだからと迎え入れてくれた。だが、、、。
普通の家といった感じの玄関から居間に通され、西郷隆盛のようなかっぷくの良い、代表者のご子息の関氏が対応してくれる。まずは弊社の説明をあれこれして、ジャケットに大島紬を使いたいのでぜひ売ってほしい、、、と問うが、首をタテには振ってくれない。それどころか、返ってくる言葉はクールそのもの。「どちら様の紹介でここに来られたか!」 シロウトが来るようなところじゃないぞっ、てな感じだ。
まあ無理はない。弊社とはまったくの異業種であるし、長い歴史を持つ伝統工芸品を、こともあろうにバイクウエアメーカーの製品に使うなど無礼者である。→
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やがて畳の上には、所狭しと反物が並ぶ。ちなみに一反ウン十万円也。 |
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織り場に上がると、初めて目にする光景が飛び込んでくる。歴史を感じる木製のハタ織り。先ほどまでの一階では鈍い音に聞こえていたものだが、目の前では、カラン、トン、パッタン、と乾いた音をたてて数人の職人さんが織っている。
・・・これは大昔に絵本で見た“鶴の恩返し”の世界だ。もうこれだけでも感動ものだが、壁に整頓された光り輝く絹の糸もなんと美しいことか。
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きれいなキレイな綺麗な、絹の糸。 |
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30分ほど時間をとってもらうつもりが、いつのまにか3時間を過ぎていた。そしてついには、「どれでも好きなのをお売りしましょう。」と、今現在、織っているものまで、数反を購入。
男は黙って現金払い!と、ぶ厚いサイフから50万両を取り出すも、ちょっとヤバイ。カッコをつけたものの、払ってしまうとこれから先の旅費が足りない。隣りの部外者尾原に小声で「10万両貸せっ!」と問うが「ほど遠いっす」。
我らの動揺を察した関氏は、「旅の道中、なにかと銭は必要でしょう。帰ってからの振込みでよいですぅ」 と、太っ腹。(いや、心が広いという意味です。誤解ないように。)
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大島紬を前にして、熱心に説明してくれる関氏。 |
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プライドの塊のような関氏であるが、私とて物作りのプライドは半端ではなく、そう易々とは引き下がれない。しかし説得すること30分、なんとなく理解してもらえると、やっと重い腰を上げ、押入れから取り出した大島紬を見せてくれる。・・・なんとも絶妙な色使い、美しい、素晴らしい! 初めてま近で見る絹織物は、そんなありきたりな表現しかできないのが申し訳ない。
関絹織物の大島紬は“手織り”だ。そういえばここに来た時から、バッタンともドッスンとも言える、こもった鈍い音が聞こえていた。
「織り場を見せましょう」 関氏に着いて二階に上がる。階段には大きく“関係者以外 立入り禁止!”の張り紙が。めったやたらには部外者を入れないそうだ。
ダメもとで写真を撮っていいか、聞いてみる。「撮影禁止なんだけど、まっ、いいでしょう。」 ありがたい。
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このおばちゃんが織っている、まさにそのものの大島紬は購入させてもらった。 |
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手織りの大島紬がなぜ高額なのか、ここで分かった。
私が好むような比較的シンプルな柄でも、一反(きもの1着分の約12m)を織るのに最低でも12日以上かかる。(一反/30日程度も一般的) また、その前の下準備にも職人が多くの時間を要し、そして高価な絹の糸。それを染める作業、等々。単純に人件費だけを計算しても、かなりの金額になる。
絹糸について質問した。日本の養蚕業は衰退しているが、はたしてどこの蚕(かいこ)の糸を使っているのかと、
「うちは、ニッポンのお蚕さんの糸しか使いません!」
う〜ん、自分用のワンオフ大島紬ジャケットを作りたくなった。いや、作る!
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関氏は大島紬を使ったセンスの良い婦人服も企画している。これなんかカミさんのみやげにいいかなと、正札を覗くと四十数万両なり。今日のところは見るだけにしておこう。 |
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