2006年8月6日 松下ヨシナリ |
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7月最終週、真夏の祭典「鈴鹿8時間耐久ロードレース」が行われた。 かつて(1987年)には、夫婦坂オヤヂも、かの伝説的世界チャンピオン、コーク・バリントンそしてロブ・フィリス選手を率い、チーム“ペアスロープwith B!” で8耐に参戦したこともある。(結果は2度の転倒で8位) バイク乗りにとって真夏の祭典が8耐だ。 この8耐は、レースの他に様々なイベントが広大な敷地内で随所に行われていて、俺は毎年[モト・チャンプ]という雑誌の4Mini Paradiseという、いわゆるモンキーとかエイプとかのミニバイクのミーティングでMCを務めている。 会場セッティングが終わった金曜の夜。モト・チャンプ誌のレーポーター岸田君が突然、あの現役MOTO GPライダー中野真矢選手を電話で呼び出し、食事に行こうということになった。 岸田君は、俺も走っていたミニバイクレース時代、真矢選手の先輩として活躍。SP忠男の忠さんに当時少年だった真矢君を紹介したのもカレなのだ。 まぁ「おっかない先輩」って感じみたい(笑)。 で、カレが全日本時代よく通ったという、鈴鹿名物(?)ジャンジャン焼きを食いに行くことに。俺はガキンチョの時、巨摩グンヘルメットを被って小っちゃいカラダで頑張ってたミニバイク時代から真矢君を知っているが、よくあるパターンで、彼は俺のことは知るはずもない(笑) でも、当時の話しですっかり盛り上がってしまった。 俺としては、ヤマハからカワサキにスイッチしたときの本音を聞きたかったから、思い切ってぶつけてみた。 すると 「あの時は、歯車が噛みあわなくってホント苦しかったんっすよ。ドコが悪いとか誰が良いとかじゃなく、全てが噛合ってなかった。モチベーションも最低で、あのままだったら、僕は今、バイクに乗ってなかったと思う」 「だから全てを変えた」簡単に、真矢君は本当にサラっとそう言った。 そーいえば、たまにツーリングに一緒に行く忠さんが言ってたっけ。 「真矢はホントにいいヤツ。俺はずっとヤツを応援し続けるんだ。がははは〜」 確かにその通りで、すっかりたくましく成長し、世界のトップライダーになった今でも、飾ることなく爽やかにそして“熱く”生きている。 う〜んカッコ良い! 俺も、がんばろう! って気にさせる、楽しいジャンジャン焼きだった。 あ、ちなみに彼はアスリート。酒をトレーナーから止められてるようで(ホントは飲めるみたいだけど)ウーロン茶のんでた(笑)。 |
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明けて土曜日は、俺にとってのホンバン。 600台に届く台数の4ミニと1500人程の人で埋め尽くされた鈴鹿南コースで、1日中マイク片手に喋りまくって来たぜ! トライアルの小林直樹さんや、桜井ホンダの亀谷長純選手、武田雄一選手。モリワキの森脇尚護選手、レオン・キャミア選手もかけ付けてくれたぞ。もちろん、8耐のキャンギャルもね!! 日曜はいよいよ8耐決勝!! ホールショットは、ヒョウドウのレーシングスーツを纏った清成龍一選手。すっげぇ〜速え〜よ、マジで。 カレは、俺がMCを務める[大治郎カップ]というポケバイレースに「将来のライバル達、チビッコとふれあいたい」って、ゲストに、よく登場してくれるんだ。俺と同じ埼玉在住、小江戸・川越のナイスガイさ! でもって夫婦坂オヤヂに「レーシングスーツのスペシャリスト、ヒョウドウのアンちゃん(社長さんね)に、オマエの革ジャンの件で、色々とヒントを聞いて来い!」なんて言われたけど、兵頭社長、8耐選手のサポートで忙しくって(そりゃそーだ)話し出来なかったよ!(笑) 近々、浜松のヒョウドウ社に乗り込んで、相談を持ちかけてみようと思ってる。 ま、本当の目的は超美味な「う・な・ぎ」だったりするんだけど。てへへ(笑) |
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