2006年9月 文・写真:三橋


 日本のあちらこちらをずいぶんとバイクで走り回っている。仕事に追われる毎日を過ごしていると、チャンスとあらば東京を抜け出し、のどかな田舎を走りたくなるのだ。
 ・・・しかし、最近、ふっと思う。人生の半分以上を通り過ぎた今、俺の街、と同時に古里の東京・大田区、ここにだって心を癒してくれる風景があるのではないかと。 記憶をさかのぼり、少年時代の遊び場を訪ねてみた。
 おおっ、東京もまだまだ捨てたもんじゃあございません。


 地元大田区、池巡りのきっかけは、8月31日、朝日新聞の地方欄(といっても東京版)の小さな記事から始まる。
 「名園 “松涛園(しょうとうえん)” を一般公開」 と題して、写真付で池上本門寺の池を紹介していた。
 え、本門寺? 少年時代の遊び場で、寺の坊さん達より、境内の隅々まで数十倍知るこの俺が、江戸時代初期からつづく “松涛園”?勝海舟と西郷隆盛の会見の庭園? そんなの知らん。しかしよくよく記事の写真を見てみると、、、あっ、これ “ぼうず池” だ! 俺達の究極の遊び場、ぼうず池にちがいない!
 そう思ったら、ソク行動。むりやりカミさんを引き連れ、バイクでぼうず池に向かう。

 ・・・しかし記事には勝海舟、西郷隆盛の名があり、ぼうず池に行く前に、弊社ペアスロープのご近所、“洗足池”を先にご案内しなければならない。そうしなければ話がつながらないんだねえ、これが、、、。




 辞書では、通常、“湖”より小さいのが “池” というらしいが、洗足池はそこそこ大きい。 風光明媚な池は、江戸時代の初代広重の浮世絵 「名所江戸百景」 に描かれるなど、江戸近郊における景勝地、東京でもなかなかないですぞ、この環境は。
 この池はかつて“千束の大池”と呼ばれていたが、日蓮聖人(にちれん:鎌倉時代の偉い坊さん)が池上(本門寺近郊)に行く前に立ち寄り、足を洗ったという伝説からその名がつく。
 池の東側のほとりには、勝海舟の墓があり、別宅もあった。その別宅で西郷隆盛と将来の日本を語り合ったという。
 さてなんで洗足池を紹介するかといえば、俺の少年期の魚獲りの遊び場でもあった。ただし、ここには洗足オヤジが複数いて、魚捕りが見つかると血相変えて追いかけて来た。・・・よくよく考えたら、密漁だったのか。(密漁はコイが目的ではなく、小エビ・小魚)
 昔、俺達もよく語り合っていた。将来の日本の魚獲りについてを。。。
勝海舟夫婦の墓のとなりには、西郷隆盛の石碑がおかれる。これを知ったのは、魚獲りをしていたあの頃の数10年後。


洗足池は中原街道沿い(東京都道2号線)、そして東急池上線洗足池駅のまん前。駐車場はないがバイクなら適当に止められる(保証しないが)。

池の北側は、もっとも風光明媚。かつてこの辺りで隠れて魚獲りをするも、洗足オヤジはエンジン付ボートで追っかけて来た。


池には膨大な数のコイが泳いでいる。デッカイ亀も多いが、これ外来種で凶暴なり。


捕まえたカマキリを自慢げに見せる坊や。しかしなぜだろう、楽しそうではないが、、、。

洗足池一周の散歩は1時間ほど。機会があったらお立ち寄りを。

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