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 さあ、本命の池上本門寺・ぼうず池だ。その池で遊んでいたのはざっと40年ほど前、小学校の6年間である。俺の母校“池上小学校”は本門寺の参門の隣りにあり、中学校は広い本門寺の境内の中にある。だから本門寺の山の中は、隅々まで知っている・・・つもりだった。だが、新聞に載っていた松涛園(しょうとうえん)は知らない。

 8月31日、数えきれないほどかよったぼうず池、いや1週間だけ一般公開される松涛園にカミさんと訪れる。本門寺本堂の裏手で朗峰会館という、なにやら坊さん関係(法事等や食事処)の建物の裏にその池がある。


 庭園を見る前に昼飯を食おうと、朗峰会館の一階レストランに入る。
 えっ、、、なんでフランスの国旗なんだ? なんでフランス料理? 周りは寺と墓ばっかしなのになぜ???
 答えを得るのにたいした時間はいらなかった。本門寺の坊さん、なかなかおくが深い。なるほどぉ、ここは仏教である。仏教・・・仏国・・・フランス! こういうことなのか。(※俺流解釈です。真意は不明)



 江戸時代初期に作られた名園“松涛園”は、昔遊んだぼうず池にちがいないが、その姿はあきらかに異なる。あまりにも美しく飾られた庭園なのだ。ガキどもの声が聞こえてくるような魚獲りの池ではもうない。

 ここで、なぜ“ぼうず池”なのかを伝えなくてはならない。おそらく皆さんお察しのとおり、寺の坊さんから俺達ガキどもがつけた名だと思われようが、俺的には、真ん丸い島が池に浮かんでいて、その姿が坊主頭のようだから・・・のような気がする。まあ、どちらでも坊さん関係だが。
 それにしても変わるものだ。松涛園の池は美しい。だが、ぼうず池は楽しかった。どちらかと言えば、江戸時代からの名園より、昭和40年代初めまでのぼうず池を復元してもらいたかった。
 仕方がない、あの頃を思い出し、俺のきったない絵で昔の姿をご覧いただこう。

獲れる魚類:フナ・コイ・(なぜか)金魚・くちぼそ・どじょう・メダカ・ヨシノボリ(ハゼみたいなやつ)・ザリガニ・スジエビなど。
獲り方:上の絵にある“四つ手網”(これ子供にとっては高額だった)、網がない場合、ザリガニのみ糸に付けたスルメ(駄菓子屋で5円くらいだったか。たいがいは自分で食ってしまう)
なお、ありし日のぼうず池は、水が透き通ってない沼。庭石などはどこにもないが、庭園風ではあった。

 ガキどもの遊び場、ぼうず池では、かつて歴史的な一大事があった。
 江戸時代末期、江戸を攻めにきた薩摩・長州藩の新政府軍は、ここ池上本門寺を本陣とした。そして総攻撃直前の1868年3月、薩摩藩 西郷隆盛と幕府方の勝海舟が交渉し、江戸城無血開城となって江戸の町は戦火を逃れた。
 そう、その交渉の地が、このぼうず池、ここが最大のポイントだからもう一度、、、ぼうず池。もしこの池がなかったら、勝海舟が近くの洗足池に別宅として住んでいなかったら、江戸の町は戦場と化していただろう。ぼうず池と洗足池が多くの人々を救ったのである。
 少年時代の俺たちは、そんなこととは知らず、魚獲りに夢中になっていた。いや、知ったとしても、まったく興味をしめさなかったであろう。昭和16年に建てられたという両雄会見の石碑、おそらくガキどものだれかは、小便でもひっかけていたにちがいない。
勝海舟・西郷隆盛 会見の碑。ぼうず池のガキどもを見守るように建っていた。(現存)



 残念ながら、ぼうず池、いや松涛園は一般公開されていないが、隣接の朗峰会館のレストランから見おろすことはできる。ちょっと優雅なランチタイムでもどうぞ。
 さて、俺たちガキどもの遊び場はぼうず池だけではない。本門寺の広い境内全体、遊びの宝庫なのであった。では少しだけ紹介しよう。



表参道の参門と1600年代に加藤清正の命によって作られた96段の石段。中学時代のクラブ活動で、いったい何往復させられたことか。


1607年に建てられた、関東ではもっとも古い五重塔。なおカメラが傾いているわけで、塔は直立。



本堂の裏手のこの階段を下りると“大坊”。日蓮聖人が没した寺であり、たまに遊んだ池がある。



国道1号からの裏道。高校時代、このS字カーブでおもいっきり転けた。また、ここはお化けが通過する道でもある。(悪友が見た)



本堂の広場。少年時代の夏休みの朝、ここでラジオ体操をするとアンパンと牛乳くれた。俺は牛乳が大嫌いなので人生一回だけの参加。


本門寺境内の大半は墓。そのなかでも目立つのはプロレスラー力道山の墓。ガキのころ、納骨式に参列した。(お菓子でもくれるかと思って)


車坂。バイクで本門寺に上るにはここ。少年時代は複数の防空壕があり、「入るな!」と立て札があるも、そう書いてあると入りたくなるもので、、、。


国道1号からの入り口には“池上梅園”がある。2月の満開時は、ここを通るだけで梅の香りが漂う。

ぼうず池から東200メートルにある小さな池。当時、ザリガニ・小魚と釣りを楽しんだ池だが、ぼうず池とちがって釣り禁止。
しかしダメと言われるとやりたくなるもので、無視して釣っていると弁天ジジイ(そう呼ばれていた)が棒持って追っかけてくる。ガキ(俺たち)はすばしっこく、ぜったいに捕まらなかった。

現在は昔と正反対のカンバン。俺たちだって“しずかに”釣りを楽しんでいたのだが。(弁天ジジイにバレないようにな)
土曜日の午後。昔はガキばっかしだったが、今はたいそうな道具持参のオッサンたちが釣りを楽しむ。なお、このオヤジは本日釣果なし。

 以上が大急ぎで周った池上本門寺の遊び場である。池をテーマにしたので、林の中の虫たちには触れなかったが、ここにはクワガタ(ノコギリクワガタ・コクワガタ)、カナブン、ナナフシ、そして色鮮やかなタマムシだっていた。いいや、現在でもいると思う。なぜなら、林の中はいまだに俺のガキ時代のままなのだからね、またの機会にでも。

 どうぞみなさん、俺たちの洗足池や本門寺にバイクでちょっと遊びにいってはどうかな。おっと、小池はなんにもないから、そのすぐ近くのペアスロープにも忘れずにね。その店のジャケット着たら、きっと勝海舟や西郷隆盛が交通安全を祈ってくれる・・・ような気がしますんで。
2006年9月6日 記 夫婦坂の三橋



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