昭和の面影。



 大正生まれが引く“SL 人吉”にゆられて着いた人吉駅、ちょうど昼時でメシでもと思っていたら、
「え〜 べんと〜 べんとぉ〜〜」
 いやこれまた懐かしい、昭和の時代にはよく見かけた駅弁の立ち売り。しかもそのオジさん、よくよく見ればYシャツに白ネクタイでビシッとキメてるではないか。これは駅弁を買わないわけにはゆかない。・・・というより、私は走る列車内で駅弁を食うのが楽しみのひとつなのである。最近はスーパーなどで“駅弁まつり”と称してそれを売っているが、私は買わない。家で食っても何の感動もしないからね。
「オジさん、ちょっと撮らせて?」に、快く笑顔で応えてくれた。たくさん売れることを願う。


吉松行きの発車するホームに駅弁持って移動するカミさん。JR九州の素晴らしいポスター群のなかに坂本龍馬を見つける。かっこいいねえ、福山さんは、、、。



人の名前です。

 2番線ホームに3両の国鉄型キハ40系ディーゼル列車がやってきた。これが“いさぶろう”として吉松まで我らを乗せて走るのである。
 熊本県八代(やつしろ)駅から鹿児島県隼人(はやと)駅までの肥薩線は、海沿いの鹿児島本線(現在は九州新幹線及び肥薩おれんじ鉄道)ができるまではメインルートの本線であった。それが今や1日の列車本数5往復程度の超ローカル線。が、しかし、、、ここ人吉駅から吉松駅までの線路は、これはもう鉄道ファンなら知らぬ者はいない、魅力あふれるルートなのだ。
 なお人吉発の下り列車“いさぶろう”は、明治期のこのルートの工事責任者だった政府の大臣 山縣伊三郎の名。逆に、吉松からの上り列車“しんぺい”は、当時の鉄道員総裁 後藤新平からの名である。


「べんとぉ〜〜〜」・・・頑張ってるんだな。
大分県別府からはるばるやって来たキハ185系ディーゼル“九州横断特急”。 わかりやすい名前なんだろうけど、愛称名としてはズバリすぎて・・・?


古代の漆(うるし)色の“いさぶろう”と、真っ赤な“九州横断特急”の揃いぶみ。やはり特急は派手なんだな。





出発進行!

 “いさぶろう”はディーゼルエンジンの唸りを上げて人吉駅をあとにする。終着吉松駅までは途中3つの駅しかなく、すべてに停車。もし全駅通過の特急列車があったとしても、そのうちの2つの駅は、ぜったい停まらなくてはならない。通過などできない。その理由、いや魅力がこの線路にはある。






走るローカル線の車内で食う駅弁は、ほんとうに旨いのである。(セルフタイマー撮影)





第1停車駅 大畑 (おこば)
次の駅が「やたけ」で、駅弁を買った始発駅が「ひとよし」。でもこの案内板は間違っているのだ。列車は左方向には進めないから。ぜったいに。かといって次の駅を同じ方向にすると?・・・ややこしくなるからこのようにしたのだろう。

どの駅でも5〜10分近く停車する。だからこんなにのんびり写真を撮れるのだ。


「皆様〜そろそろ発車しますぅ〜」って感じ。“SL人吉”と同様に、この普通列車にもJR九州女性乗務員さんがおられる。

さて発車。ここからが面白い動きをする“いさぶろう”。ここは全国唯一のスイッチバック & ループ線なのだ。


進行方向を変え、大畑駅をバックする。変えないで進めば、森に突っ込む。


バックしたまま、もうひとつボイントを渡り、ここで停車。そして進行方向がまた変わる。



右は、先ほど人吉から来た線路。ボイントを渡って左側の線路に。


正規の進行方向に戻って、左奥の大畑駅をあとにする。これがスイッチバック。


 ジグザグに走るスイッチバックを抜けると、我が“いさぶろう”はエンジン全開で唸りを上げる。カーブで車体を左に傾けつづけながら、ぐんぐんと標高を上げてゆく。そう、これがループ線。スイッチバックもループも標高差を克服するするためのものなのだ。
 直径600メートルの円を描く線路は、やがて先ほど停車した大畑駅を見下ろす絶景にさしかかる・・・と停車!


 女性乗務員さんのアナウンスが入る。
「1号車のお客様、進行方向左に大畑駅がご覧になれますぅ。」
 そして30秒ほどで動き出し、20メートル走ってまた停まる。
「2号車の皆様、お待たせしました・・・」
 そしてまた動き、停まって、「3号車の皆様・・・」
 3両すべての車両からこのビューポイントが見えないので、1両の長さ分だけ3回停めているのだ。まことにキメ細やかなサービスで、嬉しいし愉しいし、、、JR九州にアッパレ!。
 ちなみに“いさぶろう”は観光列車とも名乗ってはいるが、一般住民の方々の足でもある普通列車。我らみたいな観光または“鉄ちゃん”でないお客さんは「ちゃんと走ってくんねえかなあ・・・」と思っているのではないかと、向かい席の行商とおぼしきバアちゃんを見て、感じたわけであります。







第2停車駅 矢岳 (やたけ)
1909年、明治42年開業。肥薩線のなかでは最も標高の高い536.9mに建つ趣きのある古い駅舎。いさぶろうはここでもしばらく停車し、乗客は構内を散歩。



D-51蒸気機関車が保存されている展示館。女性乗務員さんが乗客を案内してくれる。 展示館のなかでは、地元の特産品が販売されている。どれも安くて旨そうである。

まったりと停車中の“いさぶろう”。全員乗車するまで、けっして発車しない。置いてきぼりになったら、次の列車は3時間以上あとなのだから。





矢岳駅を出ると、やがて広々とした景色が。駅でもないのに山々の案内板が読めるのは、歩くような速度で運転している観光サービス。


左前方に真幸駅。この駅に停まるためには、スイッチバック。



















進行方向を変えるたびに、運転手はブレーキレバーを持って前に後ろにと移動する。




第3停車駅 真幸 (まさき)
肥薩線唯一の宮崎県の駅。そして二つ目のスイッチバック駅。そしてまた大畑、矢岳、真幸と、どの駅にも民家が見当たらない山の中。

古代うるし色が輝く“いさぶろう”に、愛着が湧いてきた(ような)カミさん。

上りも下りも同じ方向に発車する。

真幸。「真の幸せが入る」幸せの鐘。

車掌さんも、のどかなひととき。 いやはや、のどかである。





真幸駅を出発。右はスイッチバックしてきた線路で、今度は左の下り勾配を進む。


 いさぶろうはトンネルの連続する下り勾配を軽快に走る。と、思いきや、人が歩くような速度に減速。そしてアナウンス。
「左に碑が見えてきます・・・」

 復員軍人殉難碑・・・昭和20年の終戦、多くの復員軍人を乗せた列車が、次の吉松駅から上ってきた。しかし蒸気機関車は当時の粗悪な石炭では急勾配を上りきれず、トンネル内で立ち往生。そして煙に我慢しきれなかった復員軍人たちは客車を降り線路を歩いた。そこをバックしてきた列車のために、56名が亡くなられた・・・という悲しい出来事があった。
 そのアナウンスを聞き、碑を確認したが写真は撮っていない。

 ゆっくりと碑の横を通過した“いさぶろう”は「プゥワァ〜〜〜〜〜ン」と、それはそれは長〜い警笛を鳴らしながら、その事故のあったトンネルに入ってゆく。・・・なんだかジ〜ンときてしまった。






“いさぶろう”の終点、吉松駅に到着。ここは鹿児島県。


“いさぶろう”1時間22分の旅は終わった・・・。
[ちなみに人吉〜吉松間の運賃780円(長距離キップで通過ならもっと安い)]




 さて、龍馬とお龍が癒されたという霧島温泉はもう少し先である。この吉松駅でまた次の列車に乗り換えなければならない。その列車名は“はやとの風”・・・これまたいい名だ。




 ・・・惰性でここまでご覧の皆様は、最後までお付き合いを。

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