2006年4月5〜6日 |
秋吉台からニッポンのバイク2台で萩に向かっていると、あれまあ、空が明るくなり、陽も射してきた。やはり尾原がいなくなると本来のツーリング日和となる。 |
萩の旅館に着く。普段ならビールの一杯も呑みたいところだが、せっかく雨が止んだのだからと、ちょっと街並みを散歩でもすることに。 なおあらかじめお伝えしよう。この萩のページは濃いですよぉ、長いですよぉ、重いですよぉ、まだ電話回線でご覧の方は、なかなか開きませんよぉ、、、あしからず。 |
城下町 萩は、周防(すおう)国と長門(ながと)国を領地とした長州藩の藩庁であり、幕末の頃に藩庁を山口(市)に移すまでは萩藩と呼ばれていた。そして、戦国時代からの毛利氏を初めとし、幕末、明治と日本を動かした数々の人物がこの萩には住んでいた。吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、、、名前くらいは知ってますよねえ(晋作は第二話で説明済) ・・・なんかその、格が違うっていうんでしょうかね、この街は。 萩市の堀内地区をぶらりぶらりと散歩。この辺りはいまだに江戸時代さながらの面影を残す。そう、木戸からぬぅ〜っとサムライが出てきても不思議ではない街並みなのだ。そしてもうひとつ、路地を曲がるたびに萩焼の店が、、、ちょっとひやかしにと入ることに。 |
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萩焼は1500年代末に、藩主 毛利輝元が朝鮮からつれて来た焼き物師によって伝えられた。現在、萩には焼き物の店が数多くある。 とある店に入ると、「いらっしゃいませぇ〜」と軽やかな中年女性の声とともに、すぐさま出てくるお茶とお菓子。 ・・・そうか、その手できたか。敵は江戸っ子の心情の弱いところをついてくる。見るだけのつもりなのに、こりゃ参った。まんまとワナにはまって湯呑みを購入。(けっこう気に入って買ったが) 数分後、よぜばいいのに、すぐそばの店にもまた入ってしまう。今度は腰のまがったバアさまだ。もうこれでもかっ、てな具合で説明され、ハイ降参。その後も歩くたびにあちらこちらと萩焼屋はあるが、そのつど入っていったら、どんだけ買わなきゃいけないことか。 さすが長州の人。萩焼も凄いが、萩の女性の商売根性はなお凄い。 さてバイクにどうやって積もうか。 |
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今宵の宿は “萩一輪”、二輪で来たけど萩一輪である。見てくれも設備も高級な部類の旅館だが、これで1万円程度から泊まれるのだからありがたい。が、しかし、下関の一人3千数百円のビジネスホテルから始まった今までの3泊は、比較的リーズナブルな宿。よって最終日は豪勢に、やや高級な部屋に泊まる。 夕食のコースは“和牛会席”をチョイス。2006年の今年から弊社は和牛製品を作り始めたが、その品種は“黒毛和牛”、そしてこの会席は“無角和牛”だ。さてどちらの革が良いのか、どちらが美味いのか、、、そんなことはどうでもよく、とにかく和牛は美味いのである。ユッケなんか、そりゃあもう、たまらなく美味いのなんのって。 |
翌朝、萩の街をバイクで少し走り回ってみる。空は快晴、桜は満開。春のツーリングはこうでなくてはならない。 所々で写真を撮るが、被写体はゼファーとカミさんばかりなり。まあこれは仕方のないことで、二人だけなのであるから。 それにしても、こういった古き良き街並みにゼファーはよく似合う。我が愛車GSFにもレンズを向けてはみるが、どうにも様にならない。「乗って楽しいGSF」、「撮って絵になるゼファー」 ってとこでしょうか。(ゼファーが面白くないというわけではない。いつでも全開にできるほどほどなパワーは、ほっとする、安心の乗り味だ) 萩の街巡りの最後は、萩城跡。萩城は、関が原の戦い(1600年)で敗れた毛利輝元が、日本海に面した干潟を埋め立てて築城したちょっと特殊な城だ。天守閣は、明治初期の廃城令で取り壊されていることが惜しい。 どうにも石垣と堀だけの城跡というのは寂しいものだが、この日は城内の数百本の満開の桜で、おおいに華やか。 |
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